結婚した年齢
=その人の適齢期

 では「婚活」という言葉がなかった昔の結婚とはどういうものだったのだろうか。

 日本で「恋愛結婚」が「見合い結婚」を上回ったのは、1960年代後半である (厚生労働白書)。それまでは、親や親戚などの紹介によって見合いをし、結婚をする人が半数を占めていた。

 NHKのアナウンサーをしていた私のもとにはさまざまな紹介がもたらされ、毎日お見合いをしているようなものだった。

 婚活という言葉がない代わりに、当時は「結婚適齢期」があった。いまもあるのかもしれないが、表立って使われることは減ったのではないか。

 私が20代のころ、結婚適齢期は 24歳とされていた。その2年前、22歳の誕生日の日、私は母に、デパートの写真室に連れていかれた。

 それまでも誕生日には家族で写真を撮っていたものだから不審を抱かず素直についていったのだが、すぐに様子がおかしいと気づいた。私一人で写真を撮るというからだ。しかも一張羅の白地に菊模様の訪問着を着て、頭に羽の飾りをつけ、プロに化粧を施されて。

 ははーん、見合い写真か、と気づいた私は、しかし、その場では騙されたふりをして写真を撮られた。もう少し首を右に、とか、口角を上げて、などの写真家の要求に応えながら、借りてきた猫になっていた。

 数日後、デパートに、出来上がった写真とネガを取りに行った帰り道、私は写真を細かく破って、ネガとともに家の傍のドブに捨ててしまった。母から叱られたのは言うまでもない。

 誰が定めたかもわからない「結婚適齢期」が、かくも大きな力を持っていた。

 思い出すことがある。

 結婚後、講演やイベントで私はよくこう言った。

「私は36歳で結婚しました。ですから、36歳が私の結婚適齢期です」

 すると、必ずどっと笑いが起きた。私は冗談を言っているつもりも、人を笑わせようという商売気もサービス精神もなく、大真面目に事実を言っただけなのに、人様の笑いを誘った。

 36歳が適齢期ではあり得ない、笑いになるくらいあり得ない、というのが、当時の常識だったのだろう。

書影『結婚しても一人』(光文社新書)『結婚しても一人』(光文社新書)
下重暁子 著

 年齢なぞに左右される人生が哀れで『くたばれ結婚適齢期』という本を書こうとしたら、版元の社長に「下品だ!」と一蹴されたこともあった。このパンチの効いたタイトル、いまだったら受け入れられたと思っている。

 その人が結婚した年齢がその人の適齢期である。

 昔もいまも私はそう考えているし、時代が私の考えに近づいてきたことを好ましく思っている。

 そして適齢期が一生ない人生、これはまた素晴らしい生き方である。