おじさんのマイナスを減らす風呂
中年男性のスタート地点は
現代において、我が国のベースにある風呂の共通認識は「1日1回。これを逃すと不潔に近づく」といったところであろう。
風呂はとかく面倒な関連タスクが山積しているものだが、それを押してでも毎日風呂に入ろうとするのは、「くさい」や「不潔」と思われたくない・思わせたくないからである。
思春期の男女と中年男性を比べてみたい。思春期男女は多感なお年頃で、下手をすると風呂に入っていないだけでいじめが起きる可能性もあるが(そのようなこと断じてあってはならないが)、基本的に「風呂に入る」という行為は「マイナスをゼロに戻す(不潔を滅して清潔になる)」行為として自覚されているはずである。風呂に入ったからといって周りより一歩抜きん出るわけではないが、風呂に入ることで自分が出遅れていないという立場を(入浴という点においては)確立できる。
一方、中年男性の入浴はやや悲痛である。中年男性は当連載で何度か伝えてきた通り、生物的にそもそも疎まれやすい生き物であり(昭和からの遺産もある)、たとえば風呂に入らなければ加齢臭がし始める。風呂に入ってその日の加齢臭を流し清めても、今度はダジャレを言いたい衝動や、どこかしこ構わず放屁したい衝動を我慢したり、流行に詳しくないのに自分の身の丈にそぐわない流行語を無理して使って若者の失笑を買ったりするリスクと紙一重で、1分1秒を毎日生きていかねばならない。中年男性という種にとって、風呂は「マイナスをゼロ」とは到底言えず、「超マイナスからそこそこのマイナスへ」という行為となる。
どの道マイナスではあるのだが、「中年男性は疎まれやすい」ということを中年男性自身も承知しているため、多感で繊細な中年男性は少しでも疎まれない中年男性を目指して、どうしても毎日風呂に入らざるを得ないのである。