またブルジョワや貴顕に属する者、たとえば大学の学部長、法学博士、都市参事会員、裁判官、軍の指揮官、医師、富裕商人などもときに血祭りに上げられた。

 こうした社会的地位もある男性が『魔女』にされる第一のケースは、不正な蓄財をしたり、隣人の妻と不義密通を重ねたり、妻に殴られ罵られたり、飲酒や借金で家庭を壊したりと、社会全体の優良な秩序を壊し家長の役目を果たせない、情けない男と見なされた場合である。

 男性の割合が多くなる第二の状況は、魔女狩り初期に、魔女迫害が異端追及と密接に結びつけられたときである。

 アメリカの魔女研究者ウィリアム・モンターが示した例はジュラ地方での15世紀の迫害であり、これはワルド派異端討伐と絡んで発生し、そのとき女性より男性が多く告発された。異端セクトでは概して男性の活動が目立ち、その関連で新しい異端=魔女も男性主導と疑われたのだろう。

 そして第三の状況は、魔女狩りが制御のきかないものになって連鎖反応式に密告・告発がつづく場合である。皆が集団ヒステリー状態に陥り、男であれ高い身分であれ、闇雲に知人の名前を共犯者として挙げていった結果である。

 さらに魔女裁判が政治的自律性や主導権争いの道具として使われることがある。1480年前後のスイスのヴァレー州での大迫害(アニヴィエ渓谷のみで100人ほどが告訴された)をもたらした裁判には、公権力に対抗しようとする渓谷地帯の住民たちの動きを打ち砕くため、代表の公証人親子を排除するという政治目標があった。

 またロレーヌ公シャルル四世による1624年と1631年の魔女迫害は、政敵を排除するために公自身のイニシアチブで行われた。

 同様に、17世紀のハンガリーで二人のトランシルヴァニア諸侯が起こした魔女裁判にも、彼らが敵対する貴族たちを陥れようとする狙いがあった。

 派閥争いが魔女妄想と一体化して魔女狩りが始まるとき、多くの男が巻き込まれるのである。