男性が担っていた自然魔術
科学や哲学と結びつく

 全体として男の『魔女』が多出するのは、後期の魔女迫害においてだった。ヴォルフガング・ベーリンガーによる南東ドイツの魔女裁判研究では、末期の1680~1730年になると、老女の釈放と若い男性『魔女』(妖術師)の処刑の数が、それぞれ多くなるという。それは悪霊と結託した宝探し人裁判が多発し、魔女裁判と混交したためでもある。

 またそもそも男性の『魔女』が多かった北欧やロシアでは、西欧より遅れて魔女迫害が始まったし、都市や地域での政治的主導権をめぐる魔女裁判、告発連鎖で大迫害に展開する魔女裁判も、後期のものだった。

 男の『魔女』は無視できないとはいえ、それでも相対的には男性が少ない理由のひとつに魔術の多義性がある。おなじ魔術でも、悪魔的な魔術(妖術/黒魔術)ではない、自然魔術/白魔術の実践者が、古代からルネサンス期に至るまで、主に男性だったのだ。

 それは、動植物・鉱物・大気など自然の要素に特別に働き掛けて、人間や社会に役立つ現象を引き起こす術だ。すなわち夢占い・星占い・鳥占いなどで未来を予見し、まじないにより死者の魂を呼び寄せ、あるいは病気や狂気を癒やしたり悪天候を改善させたりしたのである。魔術師はデーモンの助けも借りるが、デーモンは必ずしも悪霊ではない。

 初期中世には、ゲルマン人、スカンディナヴィア人らの間で、呪具や護符を身に着けた呪術師が活躍した。彼らの呪術は神の奇跡とは一線を画するにせよ、当初、キリスト教と背馳するとは考えられずに、教会によって黙認されていた。

 ところが盛期中世になると、教会はそれらの呪術を異教的迷信として厳しく断罪するようになり、とくに降霊術などの儀礼魔術師は、教皇ヨハネス22世により異端宣告された。

 しかしそれにもかかわらず、自然魔術はギリシャ・ローマやアラブ世界の科学とも融合し、ひいては高等魔術として哲学者の領分にさえなったことを見落としてはならない。

 それは錬金術・占星術・夢占いなどであり、王侯や教皇の宮廷にその達人(大学のエリート、聖職者、学識ある俗人)が雇われて、やがて起きるだろう重要事件、戦争の帰趨や災害の勃発、支配者の死、個人の運勢などを占い予言した。