知識人の間で流行した自然魔術
断罪せず、見逃す教会も

 イタリア・ルネサンスの時代になると、自然魔術はヘルメス主義や新プラトン主義の展開と歩調を合わせて知識人の間に大流行し、儀礼魔術、星辰魔術の書物が数多く世に現れた。

 マルシリオ・フィチーノとピコ・デッラ・ミランドラが15世紀のフィレンツェで、ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタが16世紀のナポリで考察したオカルト哲学は、イタリアばかりでなく北方にも伝わり、アグリッパやパラケルススが新たに発展させた。

 自然魔術・オカルティズムは、実践者が悪魔・悪霊との関係を断つ覚悟を示したため、教会は必ずしも魔女の妖術と十把一絡げに断罪せずに見逃すことも多かったのである。

 それは、ギリシャ・ローマ伝来の知識にもとづいた科学的な技法だからという理由のほか、フィチーノらがそれをキリスト教と統合したシステムとして考察しようとした結果でもあろう。加えてこうした魔術は、サバトに集まる魔女たちによる集団的な悪行ではなく、個人としての知的・技術的達成だったことも幸いしたかもしれない。

書影『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書、岩波書店)『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書、岩波書店)
池上俊一 著

 ところで近世ヨーロッパのエリートら、たとえばヨハン・ヴァイヤーやレジナルド・スコットによって、魔女とはメランコリーに冒された老女である、と説明されることがあった。

 四体液説によると、メランコリー患者の汚れた黒胆汁が想像力を堕落させて狂った妄想に陥らせ、悪魔の餌食になりやすくするのであり、メランコリーは誰よりも閉経した老女が罹る「病」なのである。

 しかしおなじメランコリーであっても、男性に関しては肯定的に評価されることがあった。

 この男性の善いメランコリーと女性の悪いメランコリーの差が、女性の肉体を毒の塊に見せ、他方男性の肉体を汚れから救って、彼らが『魔女』になるのを妨げる要因のひとつになったのだ。