テレビで「いじる」ことの危険性、人気作家が指摘する「いじり」が差別と同調圧力を生む理由Photo:PIXTA

コミュニケーションの延長線上にある、「いじり」。相手の外見、内面、ミスなど様々なことで笑いをとり、いじったことがある方もいるのではないだろうか。しかし、作家・王谷晶はその「いじり」が現代における同調圧力や差別を生み出していると指摘する。※本稿は、王谷晶『40歳だけど大人になりたい』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。

大人になるということは
最先端から離れること

 もう15年くらいテレビを持たない生活をしているのだが、そうするとどうなるかというと、CMとアイドルとお笑いと邦楽の情報にめちゃくちゃ疎くなる。特にお笑い芸人と、ネットに画像や映像を出さない系事務所のアイドルに関しては、完全に90年代後半くらいで知識が止まっている。

 正直なところ、これは職種的にあまりよくない状態である。エンタメ作家たるもの、常に浅くとも広く現代風俗を識っておくに越したことはない。でも、しんどいんだよな~、テレビ。行きつけのラーメン屋や居酒屋でテレビがついてるとなんとなく眺めたりするけど、30分も見てるとだいたいヤな気持ちになる映像か音か発言が飛び込んできて、これを家に置いておく勇気が出ないなと思ってしまう。

 あと自分は「耳」が若干気難しいたちで、漫画や小説や映画は多少好みと外れていてもとりあえず最後まで鑑賞するのだけど、音楽は10秒聞いて気に入らなければ消すか別の曲に飛ばすかしないと、ストレスメーターが速攻でアガってイーッとなってしまう。

 ゲームなんかも音響関係のスタッフさんには本当に申し訳ないが、ほぼ全て音を消すか、設定で最小限の効果音だけ鳴らすように調整して遊んでいる。

 テレビをつけていると問答無用で好みじゃない音楽や音がドカドカ流れてくるので、それがしんどいのだ。同じ理由でラジオもあまり聞かない。家に居る時間は80%くらい仕事をしているか仕事をしなきゃとグネグネしている状態なので、なるべくストレスなく過ごしたい。というような理由で生活からテレビを遠ざけている。

米津玄師の音楽さえも
入ってこない生活

 インターネットだけで情報を得ていると取捨選択ができる(できてしまう)ので、興味の薄いものにはとことん触れないで済ませてしまえる。例えば私は現代日本で非常にポピュラーなアーティストである米津玄師氏の音楽をまともに1曲も聴いたことがないのだが、家に引きこもってテレビやラジオを聞かずに過ごすとそんなインポッシブルそうなミッションもクリアできてしまう。

 自分でそういう生活をしておいてなんだけど、この「避けようと思えばとことん避けられる」状態って、ちょっと怖いなとも感じている。大人になる、年をとるというのはつまり、最先端から離れていくことだ。