2023年のように阪神が一方的に勝つだけでは、伝統の一戦という呼び方がふさわしくなくなります。古い考えかもしれませんが、やはり阪神と巨人が並び立ってセ・リーグを引っ張っていくペナントレースになることが一番いいと思っています。

松井秀喜も阪神ファンだった
阪神が逃がした魚は大きすぎた

 阿部慎之助は父の同級生の私に憧れながら、阪神のライバル・巨人の監督になるのですから、運命のいたずらを感じます。思えば、私もかつてONに憧れた野球少年でしたが、縦縞のユニホームに袖を通し、田淵さんもまた法政大学時代は巨人入りを熱望していたのです。その巨人と阪神のすれ違いの運命で言うと、松井秀喜もそうです。

 石川県出身で小学生の頃から阪神ファンで、私に憧れてくれていたと本人から聞きました。「掛布も左打ちだから」と周囲に勧められて左打ちになったというのですから、光栄なことです。

 星稜高では3年夏の甲子園で5打席連続敬遠の伝説をつくり、私も高校生とは思えぬ落ち着きぶりに驚きました。1992年のドラフトでは阪神、巨人、中日、ダイエーが1位指名し、長嶋監督が当たりくじを手にしました。赤い糸で結ばれていたのは、意中の球団の阪神ではなく、巨人でした。

 その後のサクセスストーリーはご存じの通りです。長嶋さんの1000日計画のもと、巨人の四番打者に成長し、ヤンキースではワールドシリーズのMVPを獲得しました。巨人入団以来、私も解説者として交流を持ち、冗談を言い合えるほどの関係になりました。私のシーズンハイの48本塁打を上回り、50本の大台に乗せたのは2002年のことでした。私の見たことのない景色を見た打者となったのです。

 松井秀喜と話したときも長嶋さんの指導の話題になりました。やっぱり大事にするのは素振りでした。長嶋さんは目で見ることはなく、ずっと空を切る音しか聞かないというのです。