③アメリカ食品医薬品局
アメリカ食品医薬品局(FDA)が生まれたことについて考えてみよう。食品と医薬品はその性質上、また我々の生活に深く組み込まれているという点から、公衆衛生の維持は何より重要な産業の一つである。
歴史は、「粗悪な食品」が市場に出回ると、ほぼ予告なしに致命的な結果が招かれることを、我々は何度も学んでいる。同様のことが医薬品にもいえる。したがって、国民の健康と安全を守るために規制しなければならない産業があるとすれば、間違いなく食品と医薬品である。
しかし実際には、起業家たちが市場創造型イノベーションを発見し、それが何百万もの人々に影響を及ぼすまで、FDAでさえ食品、医薬品の両業界に規制を課すことはなかった。ここでも制度よりイノベーションが先だったのだ。
バーモント大学の経済学者、マーク・ローは「アメリカの食品・医薬品業界における規制の歴史」という小論の中で、植民地時代から19世紀半ばまで、アメリカにおける食品や医薬品に関する規制の大半は州や地域のレベルで制定され、限られた種類に焦点を当てられていたと指摘している。
当時、アメリカの家庭の大半が自給自足であり、ほとんどの食料品がマス市場向けではなかった時代にあって、食品業界全体に規制を課す意味はほとんどなかった。したがって規制は、たとえば牛肉、豚肉、海産物、パン、ワインなどに重点が置かれていた。
規制の規模と範囲が大幅に拡大したのは19世紀後半からである。ローによれば、その理由は3つある。専門化と都市化、食品に関する生産技術のイノベーション、そして一般消費者が品質の落ちた食品の区別が難しくなったことである。
繰り返しになるが、技術イノベーションによって生産力が向上するにつれ、何百万人もの人々が入手できる食品の種類も増えた。同時に、劣化した食品、あるいは医薬品による想定外の反応などの影響も悪化していった。
食品・医薬品における技術進歩と複雑化が進んだことで、平均的な評価監視者では有害な製品を見極めるのが難しくなった。それゆえ、専門家らによる規制が必要だという認識が広まった。
一方、市場の参入障壁を高めるため、伝統的なメーカーは、新規参入者が不利になるよう、さらなる規制強化を要求した。こうした出来事が規制環境の改善につながる一方で、規制とそれにまつわる制度がイノベーションや新規参入を阻害する可能性があることは言うまでもなかった。
いずれの状況でも、規制よりも「まずイノベーションありき」であった。イノベーションが市場に導入され、それによってコストが削減され、製品が入手しやすくなって初めて規制が定着し始めた。食品や医薬品のようにデリケートな業界でも、規制が技術イノベーションに先行していたとは言いがたい。実際、FDAが設立されたのは1906年だが、アメリカ議会が同じ年に純良食品・薬品法と連邦食肉監視法を可決した後のことである。
④ノリウッド
ナイジェリア映画が、主にアフリカ人、さらには祖国を離れた暮らすディアスポラのアフリカ人を楽しませるために制作されているため、ナイジェリアの映画産業の賑わいを世界の大半が知らない。
ハリウッドとナイジェリアを組み合わせたのが「ノリウッド」だが、ここで制作される映画が年1500本というのは(2023年現在では2000本以上)、第1位のインドのボリウッドに次ぐものである。電気を利用できるのは人口の6割以下、テレビ所有世帯はわずか4割程度という国と聞けば、驚くべき数値である。
ノリウッドが成功を収められたのは、業界関係者たちが非消費者をターゲットとした新市場の創造に注力したからにほかならない。ナイジェリア映画産業が台頭する以前は、ほとんどのアフリカ人がハリウッド発、ボリウッド発の映画を観ていた。これらの映画には、平均的なアフリカ人の生活を反映しているもの、彼らの文化や集団的経験を考慮したものはほとんどなかった。たしかに西洋映画やインド映画は興味をそそるものだったが、少々飽き足りないものだった。
それを変えたのがノリウッドである。ノリウッドの総売上高は年10億ドルに達し、現在100万人以上の雇用を創出しており、同国の農業部門に次ぐ規模である。ナイジェリア人たちが映画とエンタテインメントを広く楽しめるようになったのは、まさしくノリウッドの成功であり、法の名の下にこの産業に従事している人たちすべてにとっての勝利である。その結果、海賊版や著作権にかかる法律に関して、ノリウッドはそのガバナンスの改善に成功した。
映画産業はナイジェリアにおける雇用の主たる供給源であり、映画の販売収益は潜在的な収入源でもある。同産業の重要性を認識し、ナイジェリア輸出促進評議会、ナイジェリア著作権委員会、ナショナル・フィルム・アンド・ビデオ・センサーズ・ボード(国家映画・ビデオ検閲委員会)は現在、ナイジェリア映画産業における海賊行為を撲滅するプログラムに共同で取り組んでいる。
我々の経験に照らせば、政府が果たすべき役割は、多くの場合、イノベーターの成功に従うことである。ただし、こうして「ニワトリが先か、卵が先か」という古典的な問題が生じる。すなわち、制度づくりが先か、それともイノベーション投資が先か、いったいどちらなのだろう。
我々の考えでは、市場を創造するイノベーションは、さらなる投資とイノベーションの引き金となる制度を引き寄せる磁力となる。市場創造型イノベーションなくして、制度の構築・維持は難しい。とはいえ、馬の前にキャビンを置けば、馬車も馬も前に進めない。
©2019 Clayton M. Christensen, Efosa Ojomo, Gabrielle Daines Gay, and Philip E. Auerswald.
The article is published in Innovations: Technology, Governance, Globalization, Winter- Spring 2019 of MIT Press.
*つづき〈連載④〉はこちら