震災は使い古された「愚かな言葉」でしか語れない
開沼 和合さんは、震災後に『詩の礫』(徳間書店)を出版されるずっと以前から、詩の世界で代表的な存在になっていました。具体的にはいつ頃からでしょうか?
和合 20代のときは多くの同人誌に所属して、詩を書き続けていました。『詩誌月評』という雑誌に批評のコーナーがあるんですけど、その当時、1年間の12回うち9回取り上げてもらったことがありました。その翌年、『現代詩手帖』で詩を書かせてもらったのが、初めて商業誌で書いた経験です。たしか23歳くらいだったと思います。
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。
開沼 早いですよね?
和合 若手としては早かったのかもしれないですね。それからずっと「若手詩人」ということで紹介され続けました。文学の世界って、新人とベテランがもてはやされて中間がないんですよ。社会学もそうなのかな?
開沼 たしかに、何かに取り上げられるとなると大御所か若手か、そういう側面はある気がします。
和合 そこから十数年“若手”詩人で(笑)、30歳のときに中原中也賞をいただいて、翌年から『現代詩手帖』で詩の連載を始めました。僕は比較的、詩の世界で早めに連載を始めたり、時評を行う場所をもらえたのかもしれないですね。
開沼 そもそも、詩集の市場はどのくらいの規模なんですか?
和合 現代詩の詩集というのはそれほど部数が多いわけではありません。多くて500部や700部程度だと思います。詳しく教えてもらったわけではありませんが、1000部はいかないと思います。
開沼 あまり街中の書店では見かけませんよね。
和合 詩の好きな人が読むわけです。僕も詩の好きな人に手紙を書くような気持ちで書いていました。だけど、震災後、自分の中で真面目にやっていたことが馬鹿馬鹿しくなってしまって、全部ぶん投げちゃったんですよね。絶対性が崩壊したと言うんでしょうか。今まで築き上げてきた“詩学”というものを根底から、それも自分自身で覆しました。
開沼 和合さんにとっての“詩学”ってなんですか?
和合 僕は30代の終わりから42歳まで読売新聞で時評をしていて、震災当時も担当していました。読売の時評というと詩の世界では、普通はすごく偉い人が担当するものです。そういったポジションを若いときから担当することになって、自分の中でどんどん狭い考え方になっていました。
おそらく、読売新聞の時評者という立場になったときに、ちょっと自分で勘違いしっちゃったんでしょうね。「詩はこうだ」と思っちゃったんです。書評にはなんでもそういうところがありますけど、「自分にとっての詩はこうだ」と決めつけて、それに当てはまらないものは取り上げないんですよ。
開沼 僕も今年から読売新聞の読書委員を担当しています。常に本を読み、5冊から10冊くらいの中から1冊を選び出して書評をしていますが、たしかに、目の前にある作品を評価する立場になったとき、自分ではフェアに物事を見ているつもりでも、その前提には自分の価値観による自己肯定がある。にもかかわらず、その構造に自分自身が無自覚になってしまっていると、お話をうかがっていて思いました。
和合 だけど、震災後、そこまで高まっていた自分自身が馬鹿馬鹿しくなっちゃったんです。自分で自分を蹴り倒したいような気持ちです。相馬市松川浦の震災風景を見たら、「すべてぶん投げてやる」という気持ちになりました。あらゆるものが津波で崩壊した光景や、たくさんの人がここで亡くなった様子を見たとき、「自分自身が信じたものはすべて間違いだった」と思いましたよ。開沼さんはいわき市のご出身ですよね。
開沼 そうです。
和合 いわき市も無人だったじゃないですか?福島からもまったく人がいなくなって、もう悔しいというか、絶望というか、怒りというか……心がかきむしられる気持ちになりました。そこから「詩の礫」が生まれたんです。それを読んだ詩人の先輩や勘違いの批評家にはいろいろ言われましたよ。だけど、「言うなら言え!」という感じで現在まできています。
開沼 例えば、どんな批判がありましたか?
和合 「明けない夜はない」と書いたことがあります。震災前の自分であれば、見た瞬間に本を閉じていた言葉をあえて書いていました。そのときはいろいろ言われましたね。
開沼 つまり、「明けない夜はない」という言葉はありきたりで使い古されていて、そんなものに独創性や新規性、詩としての価値はないと普通であれば感じるということですか?それでも、その言い回しを使われたと。
和合 僕自身、使い古されていることを十分にわかっているけど、今の震災を語るにおいてはこの言葉しかないという気持ちです。愚かな言葉でしか語れない、ゼロから始めていくしかないと思いました。そこで「詩の礫」としてTwitterで書く方法をとったんです。