震災から半年たっても
道路は凸凹、民家は倒壊したまま

 現地へは、全日空の飛行機で「羽田空港」から「のと里山空港」へと向かうことにした。羽田から60分で着くので便利なのだが、航空ダイヤが「羽田空港発⇒のと里山空港着」が「NH747 8:55発- 9:50着」「のと里山空港発⇒羽田空港着」が「NH748 10:45発-11:50着」とそれぞれ片道が1日1本しかない。

 楽天トラベルやじゃらんなどを検索しても宿泊可能な施設が非常に乏しい状況の中、観光客が日帰りで旅行できないのは非常に厳しいものがあるだろうと感じたが、現地に着いてみると、まったく観光業復活どころではない状況がよく分かった。

 のと里山空港に着くと、クルマで能登半島の最先端、珠洲へと向かったが、多くの地域は半年前に地震で壊れたままの状況だった。主要な道路は穴や亀裂が入っていないものの、凸凹がひどく、制限速度ギリギリで走っているとめちゃくちゃに揺れるため、まるでジェットコースターに乗っているような気分になる。また道路から海岸沿いの民家は倒壊したままの姿を残していた。

「どうして震災から半年もたってほったらかしにされているのだろう」と不思議に感じたが、昼食に入った飲食店で「集落ごと駄目になったんだ」と知らされた。

 珠洲市のシンボルともいえる見附島に立ち寄った。震災前は威厳のある島だったことが、珠洲市役所のホームページに残る写真からも分かる。地元では、軍艦島とも呼称され、先端が尖っていた島だが、角が取れてしまった。

見附島見附島。珠洲市役所のホームページより引用。ホームページには「2022年1月17日更新」「別名「軍艦島」とも呼ばれる能登のシンボル」とある
震源地に近い見附島、通称「軍艦島」震源地に近い見附島、通称「軍艦島」。尖っていた先端が崩れ、かつての威厳はもうない。6月20日に筆者撮影
見附島を望む縁結びの鐘見附島を望む縁結びの鐘。震災で傾き、いまだ復旧されていない。6月20日に筆者撮影

いまだ水道が使用できず
自衛隊の入浴支援が続く

 珠洲市は、今回の能登地震の震源地、つまり最初に断層が崩れ始めたところだ。珠洲市の被害(5月8日現在)は、死者103人(能登地震全体では245人)、建物は全壊が2247棟(全体で8248棟)、半壊が1851棟(全体で1万6325棟)だった。

 珠洲市内では、地震による土砂崩れや建物の倒壊などの影響で、早期の復旧が困難な地区を除けば、断水は一部解消されている。しかし、個人が管理する住宅敷地内の配管が甚大な被害を受けているため、多くの世帯では依然として水道が使用できない状況が続いている。

 地震直後から復旧作業が進められているが、特に住宅敷地内の配管修復は個別対応が求められるため、全体的な進捗は遅れている。「こうした状況を改善するため、珠洲市は5月下旬から、復旧している水道管に仮の蛇口を取り付ける仮水栓を、75歳以上の世帯や、給水所へ通うことが困難な世帯に限り設置してきました」(北陸放送、6月20日)というが、レストランや飲食店を開業するのは困難であろう。

 珠洲市役所に着いて一番初めに驚いたのは、自衛隊員や自衛隊のトラックと出会ったことだ。発災から6カ月、災害派遣がまだ続いているということに驚かされる。自衛隊による入浴支援も1月6日から今日まで続いており、のべ7万7812人(6月16日時点)が利用している。いまだに風呂にも満足に入れない状況というのはかなりしんどそうだ。

珠洲市役所珠洲市役所。被災住民で大混雑していた
市役所内の掲示市役所内の掲示。義援金5万円では雀の涙だろう
市役所内に置かれた支援物資市役所内に置かれた支援物資。食料すらまだ十分とはいえない状況だ
大量のデニッシュを運び入れる日本赤十字社大量のデニッシュを運び入れる日本赤十字社。いまだに満足に食事もできないのか