もっとも、職種限定合意が認められないとしても、入社の経緯等から、タクシー運転手としてのキャリアへの一定の配慮は求められると解されます。また、営業係に異動することで、歩合給から固定給に変わり、賃金上の不利益が発生する場合にはより慎重な対応が求められます。必要に応じて、調整給を支給するなどして、Xの生活への打撃が生じないような配慮も検討されるべきだと考えられます。

採用時に変更範囲を明示し
配転時に社員の理解を得ることが重要

 社員の配置については、会社に広い裁量があるようにも思えますが、前述の東亜ペイント事件が示す要件を充足しなければなりません。また、採用時点で職種限定合意や勤務地限定合意が認められる場合、その後の配転に支障をきたす可能性があるので、注意が必要です。

 本事案のように、一定の技能や資格が必要な職種や、入社以来、長年同一の職種に従事させた社員を配転させる場合、職種限定合意が認められないとしても、事実上のトラブル回避のため、社員の理解を得たうえで配転させたほうが安全です。すなわち、当該職種における長年のキャリアを、配転先の職種や今後のキャリアにおいて、十分に活用できることを説明するなどして、社員本人の同意を得ておくことが考えられます。社員本人の同意を得られれば、あくまで社員との同意によって配転させたという整理になり、配転命令権が無効となる法的リスクを最小化することができます。

 また、職種限定合意・勤務地限定合意を認めるか否かについては、令和6年4月以降の法改正に対応することにより、その疑義が大幅に解消されるものと思われます。すなわち、労働基準法第15条1項(注1)では、採用時に労働条件通知書を発行するなどして、社員に労働条件を明示することが求められていますが、令和6年4月以降は採用直後の就業場所や業務の内容に加え、これらの「変更の範囲」についても明示が必要となります。

 例えば、職種の限定をしないのであれば、「(雇入れ直後)営業、(変更の範囲)会社内のすべての業務」などと明示し、職種を限定するのであれば、「(雇入れ直後)運送、(変更の範囲)運送」などと明示します。このように、職種の変更の範囲を明示することで、当該社員との間で職種限定合意が存在するか否かが明確になります。採用時の労働条件明示は、労働基準法上義務付けられているものですし、法改正後の内容に対応することによって、職種限定合意の疑義もかなり解消されますから、適切に対応すべきでしょう。

(注1)…労働基準法15条(労働条件の明示)使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。この場合において、賃金及び労働時間に関する事項その他の厚生労働省令で定める事項については、厚生労働省令で定める方法により明示しなければならない。

監修/中村博(なかむら・ひろし)
弁護士。東京弁護士会所属。新霞が関綜合法律事務所パートナー弁護士。中央大学法学部卒業。会社法務全般(渉外案件を除く)、特に人事・労働案件(使用者側・労働者側ともに)を中心に幅広く取り扱う。著書に、『メンタルヘルスの法律問題――企業対応の実務』(青林書院 ロア・ユナイテッド法律事務所編)、『アルバイト・パートのトラブル相談Q&A』(民事法研究会 岩出 誠、ロア・ユナイテッド法律事務所編)など。立正大学心理学部非常勤講師(法学担当)、東京都港区教育委員会委員、公益財団法人日本レスリング協会理事。