三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第100回は「日本のヌルさ」の逆説的な魅力を探る。
小泉悠氏が糸井重里氏に語った言葉
四季報創刊号を読んだ投資部メンバーは、現代まで残る大企業の淵源が戦前にまでさかのぼるのを知る。日本企業の長寿ぶりを考察するなかで、部員たちは利潤追求一辺倒に走らない「商人道」がその秘訣ではないかという仮説にいたる。
日本は何でも「道」にしてしまう、と言われる。求道者という言葉が表すように、ひとつの分野をストイックに極めた人や組織が尊敬を集める。時に無用な堅苦しさにつながってしまう弊害があるが、ことビジネスに関しては「商人道」という在り様はとても合理的だ。
「商売=金儲け」を「ストイック=禁欲的」に追及するという一見矛盾する組み合わせ。「道」という言葉とはミスマッチに聞こえるかもしれないが、私はその神髄は日本社会の「ぬるさ」にあると考える。
日本の「ぬるさ」とは何か、軍事評論家の小泉悠氏の「わが意を得たり」という言葉を拝借する。「ほぼ日の學校」の糸井重里氏との対談の中で、小泉氏は「私がこの日本を守りたいなと思うのは、日本ってわりとぬるい国だと思うんですよね。で、この『ぬるさ』を守りたいんですね」と語っている。
「成田空港に降り立った瞬間の、この安心感」という小泉氏の言葉は、長期の海外滞在経験者にはしっくりくるのではないか。日本語が通じるというだけではなく、世の中が「基本的に性善説で動いている」ことが「ぬるさ」の正体だ。
たとえば定期的にSNSで話題になる、WBCの大谷翔平のホームランボールの動画。ボールは観客の間を渡り歩き、多くの記念撮影をこなした後、ちゃんとキャッチした女性に戻される。
カフェのテラス席にスマホやラップトップを置きっぱなしにして店内のトイレに行ってしまう客の様子も、「こんなことができるのは日本だけ」というニュアンスでよく拡散される。ことほど左様に、日本社会は実にぬるいのだ。
ヌルさが「囚人のジレンマ」を打ち破る?
「ぬるさ」の裏にあるのは、「誰もわざわざ悪さなどしない」という楽観であり、「その方がみんな快適だ」という和の精神でもある。これは日本人のある種の甘さの土壌でもあるので、相手次第で付け込まれるスキになる。
だが、「商人道」の不文律として性善説が根付けば、性悪説が前提の経済システムより確実にビジネスのコストが下がり、効率性は上がる。口約束ではなく契約書が必要になり、ツケではなく現金払いオンリーになれば、ヒト・モノ・カネの流れのスピードは落ちる。
信じ合った方が利益を最大化できる場面でも、だまされるかもしれないという恐れが強ければ、互いにとって損な選択が「最善」になる。これがゲーム理論の「囚人のジレンマ」だ。
性善説は、次善の選択から抜け出せない「ナッシュ均衡」を打ち破る可能性を秘めている。商人道を守らない「外道」には、まともなビジネスのサークルから排除される「村八分」が待っているので、アメとムチのバランスもとれている。
この村八分という制裁、実に日本的に見えるが、実はシリコンバレーにも同じような「信頼と排除」の力学はある。胡散臭いディールに関わった企業家やエンジェル投資家は、コミュニティからはじき出され、良い案件には関与できなくなる。うまく回っている経済の根っこには、洋の東西を問わず、信頼がある。