これって増税なのだろうか?

 語る力、説得する力は、本当に大切だと思います。だからこそ、もう一歩踏みこんで、みなさんに伝えておきたいことがあります。僕はここまでの説明のなかで増税を語ってきました。でも、よく考えてみると、これはおかしな話なのです。

 なぜなら、6%強の消費増税がライフセキュリティに使われるかぎりは、はらったお金が全部みなさんの手にもどってきているはずだからです。

 医療費がタダになったとしましょう。現役世代のみなさんは病院に3割の自己負担をはらっていますよね。それを自己責任で、自分の貯金ではらうのがいまの日本社会だとすれば、税ではらい、政府が病院にお金をわたすのが《ライフセキュリティの社会》です。

 大学の授業料も同じです。自己責任で大学にはらうのか、税をはらい、政府が大学にお金をはらうのか、のちがいです。お金のルートがちがうだけ、自己負担なのか、公的負担
なのかがちがうだけで、みなさんの負担は変わっていないのです。

 ただし、社会のありかたはまったく変わりますよね。いまの日本社会はお金を貯められる人、はらえる人だけが幸せになります。しかも、未来のことがわからないみなさんは、将来のために必要以上のお金を貯めねばならず、消費もおさえられてしまっています。

《ライフセキュリティの社会》は、だれもが幸せになります。しかも、税をはらったあとのお金は自由に使えます。子どもの大学の授業料がタダになったとすれば、次の日からみなさんはお金を銀行からおろして、おいしいものを食べにいくかもしれません。

 私たちは財源論から逃げるべきではないのです。人類が命がけで手にしてきた税のかけかた、使いみちを自分たちで決める権利、この大切な権利を使いこなすことこそが現代を生きる私たちにもとめられる知性のありかただと僕は思います。

 税をよりどころにして対話をかさね、政府の行動をチェックし、みんなの幸せのありかたを考え、痛みを分かちあう――この積みかさねの先に、子どもたちが生まれてきた価値、生きていく価値のある社会があります。

 人類の歴史が証明するように、税金というしくみが悪なのではない。政治家には覚悟をもって発言してほしい。語るべき言葉をもってほしい。私たちもまた、税を使いこなし、保障しあう、満たしあう領域を作ることの大切さについて語りあうべきだ。

 みなさんは、僕のかかげた理想をどうお感じでしょうか。きっと反論があるのではないでしょうか。いいんです。大いに批判してください。社会観と社会観のぶつかりあい、それこそがいまの日本の政治にもっとも欠けているものなのですから。