「庭は私たちの愛情のしるし」
夫婦が死の淵で咲かせた愛情の花
祖母は死の床にあり、祖父は祖母のそばに座っていました。この愛情深い夫は、連れ添って60年以上になる妻の病床の傍らで、悲嘆に身を震わせていました。
祖父はまた、混乱してもいました。祖母がその日初めて自分のことをわかってくれたからであり、一方で医師から祖母の死が近いことを告げられて、深い悲しみに襲われていたからです。
涙がふたりの頬を濡らし、こちらの様子を見にときどきそっと部屋に入ってくる看護師まで、こみあげるものを抑えられないようでした。
「愛しているよ」と、とめどなく涙を流しながら祖父は言いました。祖母はそんな祖父に目をやると、こう言ってなぐさめました。「うちの庭を、わたしたちの愛情のしるしだと思って世話してくださいな」
祖父母の家には小さな美しい庭があり、祖母は時間を見つけてはその庭を丹精込めて手入れしていました。暖かい夏の日には、祖父は庭に座って祖母に新聞を読んでやったり、祖母が草木の世話をしているあいだ、ふたりでおしゃべりしたりしていました。
だからその庭は、ふたりにとって大きな意味をもっていたのです。そしていま、自分への愛情と哀悼の気持ちを庭に注いでほしいという祖母の粋な助言は、見事に実を結びつつあります。枯れかけていた祖父の心が、自身が世話する庭のように、また花を咲かせはじめたのです。
これらの報告からわかるように、コミュニケーションの内容は多岐にわたる。これほど感動的な状況ではなくても、会話を記録したらやはり同じような結果になるだろう。さらに調査回答者の相当数が、患者のコミュニケーションの仕方が発病前の患者のそれに酷似していたことを認めていた。