結論を言うと、明晰性のエピソード中の話題に関するわたしのチームの調査結果は、身体的な問題(空腹や喉の渇きなど)への言及を除いて、マクラウド(編集部注/サンディ・マクラウド、研究者)による2009年の観察――終末期明晰は「“身辺を片づけ”、辞世の言葉を述べ、別れを告げる機会となりうる」――とここでも合致していた。

 エピソード中の話題に関する情報が提供された患者の過半数がまさしくそうした行動をしており、結果的にほとんどの調査回答者が、エピソード全般を「貴重な経験」として記憶していた。

予期せぬ終末期明晰は
死とつながっているのか?

 問いはまだ残っている。予期せぬ明晰性のエピソードは死と特別に関連する現象(「終末期明晰」)なのか、という問いだ。それは患者の死後に遡及的(レトロスペクティブ)に認められた、認知能力の一時的な変動がたまたま目立った事例ではないのか?

 それとも、実際に患者の死とつながりがあるのだろうか?

 わたしの事例集では、患者の約3分の1が明晰性のエピソード後2時間以内に、別の3分の1が2時間から1日以内に、5分の1が2日から3日以内に亡くなっている。また、全体の10%未満が4日から7日以内に亡くなり、約5%が8日後以降に亡くなったか、エピソードに近接する期間には亡くならなかった。つまりわたしのチームの調査サンプルでは、明晰性のエピソードは実際に死と強い関連があったわけだ。患者のじつに9割以上が、数時間から数日以内に亡くなっていたのである。

 ここで見出された明晰性のエピソードと、それに近接する死との強い関連性も、慎重に解釈する必要がある。事例報告の大半を受け取ったころには、わたしが終末期明晰に研究上の関心を抱いていることはすでに知れ渡っていた。回答者のなかにも知っていた人はいるだろうし、その回答者の一部は、わたしの初期の研究報告を議論していたオンライングループから募った人々である。

 理想を言えば、こうした統計調査の協力者は、こちらの目的を知らない人々であることが望ましい。「ナイーブサンプル」と呼ばれる調査協力者のことだが、こちらが聞きたがっていそうなことではなく、自分が経験したり見たりしたことを純粋に報告してくれることが重要なのだ。