歴史の韻を踏む「円安不安」論に浸るより、超円安を活かし日本経済の正常化を進めよPhoto:PIXTA

超円安の持続がなかったら、日本は、20年、30年もあえいだデフレの克服へ進めただろうか。アベノミクスの異次元の金融緩和というとっぴな自助努力でも苦境を脱し切れなかった日本。しかし、コロナ禍という突然の災難が、海外のインフレ・高金利を招き、恵みの円安をもたらしている。この円安トレンドに変曲点が近づく今、円安への不安性に浸るより、この円安に乗じて、日本の正常化をしたたかに考えたい。(楽天証券グローバルマクロ・アドバイザー TTR代表 田中泰輔)

円高になっても円安になっても
不安になる日本人

 ドル円相場は160円台にまで上伸している(図表1参照)。

 もしこの超円安がなかったら、日本は果たしてデフレ克服の端緒をつかむことができただろうか。筆者は、失われた20年のデフレにあえいだ日本が苦境を克服する上で、期せずしてもたらされた恵みの円安という側面を重視している。

 ここまでの円安があって、初めて、日本の経済も企業もまっとうに活動する体温を取り戻せるか、というところまで来た。日本銀行も、「普通の金融政策」「普通の国」に戻れるかもしれないところまでようやく来られた、と考える。

 日本人はセロトニン不足で心配性が過ぎるとされる。円高になっても円安になっても、不安視する論調ばかりが目立つ。最近の円安について、日本の衰退とか、もう円安は止まらないとか、アベノミクスの後遺症で正さなければならないとか、心配性が幅を利かせる。

 歴史を振り返ると、円相場が上に下に振れるたびに、相変わらず同じ論調を繰り返すのだなあと、日本国内の変わらぬ性分を思い知らされるばかりである。