確かに以前は、こうした車高を下げる改造は違法でした。だから「不良は車高が低い」というイメージを持たれているのでしょう。ですが、1995年の法改正によって規制が緩和され、一定の基準を満たせば車高を下げるチューニングやドレスアップは合法になりました。

 なので、これまでの解説とは少々矛盾するようですが、筆者は一般ドライバーに「車高を下げている人=不良」というレッテルを貼らないでほしいと考えています。今の時代はヤンキーだけでなく、単なるクルマ好きなど、不良というジャンルに属さない人たちも車高を下げているからです。

昭和の不良はなぜ
車高を下げたのか?

 そうした流れを知っていただくために、ここからは「車高を下げる」という営みの歴史を深堀りしていきます。若者たちの中で、最初に車高ダウンが流行ったのは1970年代。この時期は、静岡県内にあるサーキットの富士スピードウェイで、富士グランチャンピオン(GC)レースという大会が行われていた時代とリンクします。

 GCレースそのものは2座席のレーシングカーを使った競技でしたが、前座に当たるサポートレースでは、市販車を改造したマシンを使った「マイナーツーリング」という競技が大人気でした。その影響で、若者たちが愛車にマイナーツーリングの仕様に似せた改造を施すこともしばしばでした。

 この改造は、いつしか「シャコタン」と呼ばれるようになりました。「車高短」が語源です。ただし上記の通り、70年代の時点ではシャコタンは違法ですから、取り締まりの対象になりました。車検にも通りませんでした。法に触れる行為なので、この段階では「車高を下げている人=不良」だったのは否めません。

 処罰されるリスクがあるにもかかわらず、車高を下げた不良たちの心理は、当時の若者文化からうかがい知ることができます。

 ファッションの世界では当時「不良は『吊るしの服』を着ない」と言われたものです。お店のハンガーに吊るされた既製品を買ってそのまま着るのではなく、少しでも自分の手でカスタムし、オリジナリティを加えた服を好んだという意味です。

(※余談ですが、不良の服に対するこだわりは、深田恭子主演で2004年公開の映画「下妻物語」を観ると理解が深まります)。

 そうした人たちが、自分の愛車がノーマル仕様のままで満足したはずがありません。だからこそ当時の不良は、サスペンションのスプリングを短いものに交換したり、純正のスプリングをカットしたり――といったシャコタンの技術を磨いていったのです。