「努力して外国語を学ぶ」ことが
もたらす意外な価値

 ここで、日本語を話せる外国の方との会話という別の角度に切り替えてみたいと思います。自動翻訳の正確性が上がり、外国の方も日本語をわざわざ勉強して話せるようになる必要がなくなるかもしれません。しかし、自力で日本語が話せる「天然もの」の方との出会いがあったとき、皆さんはどうお感じになるでしょうか? 

 例えば、「自動翻訳が全盛の時代に、わざわざ日本語を勉強してくれるなんて。この人はすごい人だ」といった感謝や尊敬の感情が芽生えたりしないでしょうか。

 実は、「天然もの」には、正確性や効率性とは関係のない、相手の感情を動かす価値が今後も付随し続けるのではないかと思います。長い年月をかけて、時間とお金、労力を費やして外国語を習得するという価値が相手に伝わるからです。このような価値も「人間なのに」市場の中で生き残っていくのではないかと考えられます。

 そして、自動翻訳などで便利になっていくことで、仕事として翻訳や通訳の仕事を目指す方々は減っていくのではないかと思います。しかし、天然ものの絶対数が減っていくということは、一方で希少価値が高くなるとも言えます。

 日本の経済事情や長引く円安などの影響で、日本からの留学者数は毎年減り続けてます。しかし逆張りの発想で、リスクを取って留学することで、現地の方との貴重な人間関係を構築し、それが人脈となって仕事で使えるような付加価値になることもあります。リアルに英語が話せる「天然もの」の価値はこれからも上がり続けるのではないかと思います。

 もちろん、自動翻訳ツールを伴う「養殖もの」が活躍する場面も仕事においてはこれから増えていくことと思います。しかし大きな投資金額を伴う提携のような業務については、秘書や通訳を介さずに、当事者同士だけで英語で話せることの価値、「天然もの」だけが持つ価値は今後もあり続けるのではないでしょうか。

 また、会話をデータに残してはいけない場合などにも「天然もの」の価値は重要です。こうした理由もあり、私は大人の短期語学留学をすすめています。