こぢんまりした仕事に
慣れてはいけない

 さて、ここで皆さんの現在の境遇に戻って、1つ原点から考え直してみましょう。「仕事」というものは、平たく言えば「自分が定めた(あるいは誰かに定められた)目的」を達成することです。

 そのためには「能力」がなければなりませんが、多くの場合「権力」も必要です(「権力」というと何かおどろおどろしい感じがしますので、「権限」とか「役割」とかいう言葉に言い換えてもいいでしょう)。そしてまた、「資金」も必要です(官僚の場合は、これは「予算」と言い換えた方が良いでしょう)。

 いくら「能力」があっても、「権限」や「資金」がなければ、何もできないのです。そうなると、現実にはどういうことが起こるでしょうか?

 ある時に「こういうことこそやるべきなのではないか」と自分で思いついたとしても、または、外部の人からそういう考えが持ち込まれたとしても、普通のサラリーマンや官僚がまず考えるのは、「自分の持っている権限や予算でそれができるだろうか」ということでしかあり得ないのです。

 あるいは、一歩譲っても「この程度の予算なら、上を説得して獲得できるかもしれない」という判断がなければ、初めからそういうアイデア自体を、自ら否定するしかなくなります。

 それはどういう結果を招くでしょうか?

 やった仕事の全てが、小さく、こぢんまりしたものにならざるを得ないのです。

 どんなに有能な人であっても、組織の中にいる限りは、「自分がやる(べき)仕事」は「ほどほどに小さい」ものでなければならず、「我が社の将来のために(あるいは国の将来のために)どうしても必要だ」などといった「大それた思い」とは、無縁でなければならないのです。