お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失った。ついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
既製服だけではない選択
オシャレが好きで、人とは違うものを着たい私にとっては、三宅一生(イッセイ ミヤケ)や髙田賢三(ケンゾー)など、ファッションの本場パリに渡ったファッションデザイナーが大活躍し、強烈な個性を持った川久保玲(コム・デ・ギャルソン)など、憧れ以外のなにものでもありませんでした。
とはいえ、それらのデザイナーズブランドの服は、当時高校生の私の身には高価で、おいそれと買えるものではありません。
当時のわが家は裕福ではありましたが、基本的に質実剛健を旨としていたので、娘の奇抜な服にお金を出してくれるような両親でもありませんでした。しかし、のちのち考えると、この制約が「工夫してなんとかしちゃう」という私の基礎をつくりあげることにつながったのです。
独学で洋服をつくる
それまで洋裁や編み物、手芸などは一切習っていませんでしたし、あまり興味を持ったこともありませんでした。
ただ、母がなんでも手づくりする人だったので、なんとなく洋服の組み立てとか、型紙はこうつくるみたいなことを目にしていて、少しはわかっていたのですね。
気に入っていた洋服を洋裁の製図紙の上に置き、前身ごろや後ろ身ごろ、袖、襟、スカートなどのパーツを写しとって切り抜き、型紙状のものをつくりあげました。型紙ができたら、それを実際の布の上に置いて裁断します。
自分の服は
ほとんど自分でつくる
実際の服には、縫い目を細かくして立体的に仕上げているところなどが随所にあるのですが、私の場合、そこまで頭がまわらないので、できあがったものは平面的で"やっこだこ"みたいなものになってしまいました。特に、襟は難しかったです。
そこで失敗に学び、次は襟を首のカーブに合わせるようにして、しかるべき場所に細かい縫い目を入れて縮めてみたら、今度はうまくフィットしました。
そんなふうに一つひとつトライアル&エラーを繰り返しながら、大学生になるころには、そこそこ満足のいく服がつくれるようになったのです。結局、大学時代の服はほとんど自分でつくっていたと思います。
買ってきたブランド服で独学
セールのときにイッセイ ミヤケやケンゾーなどのブランド服を買ってきて、あちこち縫い目を裏返してカッティングを研究し、それをアレンジした型紙を起こしてつくっていました。
ファッション誌もよく参考にしました。「スタイルブック」とも呼ばれた洋裁雑誌、特に服飾専門学校・文化服装学院を運営する文化学園の系列である文化出版局が発行する『装苑』が大好きでした。
つくり手の熱量の高さが伝わってきて、センスも抜群。当時のファッション誌は本当に素敵だったと思います。
工夫一つで
自分の個性を際立たせる
ちょっと愚痴めいてしまいますが、今の服はあまり個性が感じられませんよね。消費者が没個性を望んでいるのかな? と感じたりもします。
でもごくオーソドックスな服でも、工夫一つで自分の個性を際立たせる服に変身させることは十分可能です。
いえ、むしろオーソドックスな服であればあるほど、バリエーションは豊富につけられるのかもしれません。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。