人気のトレッキングスポットに
眠る弾薬庫跡や砲台跡

 戦時中には、こうした要塞が北から南までくまなく設けられ、いまもその一部が人知れず山中に残されている。たとえば夜景の名所として人気の高い函館山(北海道)の山頂には、函館要塞の遺構がある。

 トレッキング客が行き交う登山道の途中で、おもむろにレンガ造りの弾薬庫跡や砲台跡が現れるから、予備知識がなければびっくりしてしまうだろう。これらは函館要塞の中でも初期の建造物であり、その朽ちた姿は否が応でも120年超の年月を感じさせる。

 さらに、ロープウェイを降りて山頂へ向かって2キロほど行くと、この函館要塞全体を司った、司令所の遺構がある。やはり劣化は激しいが、こちらは内部に入ることができ、足を伸ばす価値あるスポットだ。

 階段を降りて内部に降りてみると、往時のレイアウトをしっかりと保っていて、兵士たちの居室や電話室の残滓が確認できる。アクセスにはそれなりに体力を要するが、吹きさらしの山頂でここまで構造物として持ちこたえていることに、感動すら覚えるのは筆者だけではないだろう。

【戦後79年】千葉県の公園に残る「奇妙な階段」、その悲しすぎる目的とは〈写真付き〉「函館要塞」の弾薬庫跡。崩落が激しく、内部には入れない Photo by S.T.
【戦後79年】千葉県の公園に残る「奇妙な階段」、その悲しすぎる目的とは〈写真付き〉「函館要塞」の司令所の入口部分。かつてはコンクリート造りの天井に覆われていた Photo by S.T.
【戦後79年】千葉県の公園に残る「奇妙な階段」、その悲しすぎる目的とは〈写真付き〉「函館要塞」司令所跡の内部。自治体の管理が行き届いた戦争遺跡の一つの理想形 Photo by S.T.

 ちなみに函館要塞はもともと、日露戦争の際に津軽海峡の防衛を目的に建造されたもので、当時は一般人の入山が固く禁じられていたという。おかげで地元では、物々しく不気味なイメージが先行していた。

 しかし、長く立ち入りが禁じられていたおかげで開発の手が伸びず、結果として豊かな自然を残したことが、今日こうしてトレッキングスポットとして人気を博す要因になったのは興味深い変遷だ。