社会問題化している「ホス狂い」のようなお金の使い方は、消費だろうか、それとも浪費だろうか?社会通念で考えれば多くの人は「浪費そのもの」と答え、大金を支払う女性に対し疑問を抱くだろう。とはいえホスト通いで大金が使われることで、経済の活性化に繋がるという一面も。よりよい未来のための「消費」と「浪費」の違いは、一体どこにあるのか。※本稿は、熊谷幹樹『君の未来とお金の関係 格差社会を生き抜く投資の哲学』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
「投資」は未来を作り出すが
「投機」は利益の奪い合いにすぎない
実はお金には支え合い・助け合いとしての機能を存分に発揮させ、社会をより健全化させる行為がある。それこそが「投資」という行為だ。投資とよく似た言葉に「投機」があり、しばしば混同されているが、この2つは天と地ほどの違いがある。いったいどう違うのか?
投資とは、未来の可能性を設計する行為のことをいう。道や橋をつくるためにお金を使うのは投資である。道があるから人が集まり、町ができる。投資は未来をつくる行為なのだ。
今日、私たちの生活はとても便利になった。スマートフォン(以下、スマホ)1つあれば、瞬時に世界と繋がり、あらゆる情報を手にすることなど朝飯前だ。そんな技術やサービスを提供している企業の活躍の背景にも、投資が大きく貢献している。
投資家が存在し、そこにお金が投資されるからこそ、起業家や企業は未来に向けて挑戦ができる。こうした挑戦があればこそ、われわれの社会は豊かでいられる。投資とは、金銭的なリターンのみならず、結果的に社会の発展や文明の進化というリターンをももたらしてくれるものなのだ。
投資とは企業に関することに留まらない。教育もまた投資である。より多くの人が教育という投資を受け、人が知識を持ち、規範を守れるようになることで社会に秩序が生まれている。芸術への投資も同じだろう。芸術から生まれる人の心を突き動かすような感動は、未来への希望となる。
忘れてはならないのは、投資の成果とは一朝一夕には実らないという事実だ。
人がいきなり育たないように、投資が実るまでには一定の時間を要する。これは企業への投資もまったく同じだ。農業にたとえてみるとよくわかることだろう。大地を耕し、種を蒔き、水を与え、そして太陽の光を浴び成長していく。そうして実って初めて、作物はわれわれの糧となってくれるのだ。