育った環境や家庭の経済力、出身地による格差はいま「親ガチャ」「出身地ガチャ」と呼ばれている。格差社会が広がりつつある日本だが、重要なのは格差を乗り越え、未来を自力で切り開いていくという強い意志だ。そんな格差社会に立ち向かう選択肢のひとつとして、投資は大きな役割を果たすという。※本稿は、熊谷幹樹『君の未来とお金の関係 格差社会を生き抜く投資の哲学』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
格差社会はかならず到来するが
恐れおののく前にやることがある
日本は今後、アメリカと同じとまでは言わないが、間違いなく格差社会となっていく。現在、学生や若手ビジネスパーソンである君たちは、壮年期を格差のまっただ中で送ることになるはずだ。だが、この格差社会こそが文明を発展させ、暮らしを便利にしてきたであろうことは、認識しておくべきだと思う。
格差がある社会とは「自分で判断し行動する人物」、あるいは「能力がある人物」がきちんと評価されて多くの収入を得、いい待遇が得られる社会であると思う。そしてイノベーションとは、こうした実力がある人たちが正当に評価される社会でこそ起こり得る。さらにいえば文明もまた、「より良い暮らしがしたい」と願えばこそ発達するのであって、逆の社会では文明の発展はあっても、そのスピードはずっと緩やかであるはずだ。
人類にこれ以上の発展が必要か否かの議論はおくとして、2007年に誕生し、それ以降の世界をガラリと変えたiPhoneもまた、アメリカという格差社会の中で誕生した。「生活を今よりずっと便利にしたい」「生活をより便利にする製品を作って新しい時代を創造したい」という企業や起業家がいて初めて生まれ出ることができたのだ。
君を始めとする人びとがこの世界がより便利になることを望むなら、野心的な企業や起業家が栄えるのは必然。そうでない企業や人びとと格差が生じてしまうのは、避けて通れない現実なのだ。
アメリカのウォートン・スクールで学び、格差社会アメリカの美点も欠点も身をもって経験した1人として、日本の美点、すなわち協力して田畑を耕して成果を分け合う農耕民族的社会の良さと、「おかげさまで」とお互いに感謝し合う日本社会の美しさは、これからも大切にすべきだと、強く、強く、思う。この記事も、1億総中流が過去のものとなりつつある中、日本全体の底上げを願ってのものだし、さらには、お金の本来の姿とは、支え合い・助け合いのツールなのだから。