社会通念で考えたら、100人中99人の学生諸君は「無駄の極致で浪費そのもの」と答えるだろう。さらには、金づるにされている女性たちに同情する声すら出ると思う。

ホス狂いは社会を健全にしない
しかし、浪費で経済は活性化する

 だがホス狂いしている女性たちに聞いてみると、正反対の言葉が返ってくる。

 多くの女性たちが、異口同音に「彼(ホスト)がNo.1でいられるのは私のおかげ。その状態に心から満足している」と答えているのだ。女性の人権を守ろうという先のホスト新法に対しても、ほかならぬホス狂いの女性たちから制定反対の声が上がったほどだ。

「消費とは企業を選択する行為」であり、「暮らしの中で未来をつくる行為」である。

 だが、ホス狂いで売春にまでおよんでいる女性たちから見れば、自分のような女性がいるからこそ「いい企業(ホスト)が選別されている」という理屈が成り立つ。さらには「お金を使うことでお気に入りのホストがNo.1になれる。私がホストの未来をつくっている」と答える女性すらいることだろう。こうした女性たちからは、われわれの同情の声に対しても、「なぜ同情?彼の力になれて私は幸せ」と反論されるに違いない。

 確かに「企業の選択」と「未来をつくる」という視点からは、ホス狂いも「消費」であるように見える。だが「健全化」という点で、消費とは大きく異なっている。

 売春にまで行き着く行為は決して健全とはいえず、さらには当事者女性の精神的・金銭的負担は増す一方だ。売春という脱法行為にまでおよんでいるわけだから、ホストの豊かな未来はつくれても、自分自身の豊かな未来はつくれてはいない。むしろ破壊しているといえよう。

 つまり、ホス狂いは社会とおのれの心、そしてみずからの人生の健全化という点で消費ではあり得ず、「浪費」なのである。

 とはいえ人間である以上、浪費をしない者はあり得ず、浪費が経済に役立っているのは認めなければならない。ホス狂いという浪費をすることでホストクラブにお金が落ち、ホストクラブからシャンパンタワー用のシャンパンを卸す酒屋、それを運ぶ運送業者、さらには酒造メーカーまでをも潤し、結果的に社会にお金がぐるぐる循環することになる。経済の活性化に繋がることになるからである。