無茶ぶり連発の「視聴率100%男」が中山秀征につぶやいた、生涯忘れられない「粋な褒め言葉」とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

軽妙なトークで司会者としての地位を確立する一方、俳優など、マルチに活躍するタレント、中山秀征。少年の頃からテレビに関わり続けてきた彼の根幹を作ったのは、昭和のバラエティー番組黄金期に“視聴率100%男”の異名でブラウン管を席巻していた、萩本欽一だった。欽ちゃんとの出会いから学んだテレビとの向き合い方、そして生涯忘れられない言葉とは。※本稿は、中山秀征『いばらない生き方』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

汗が噴き出すほどの緊張
視聴率100%男との対面

 松田聖子さんの『赤いスイートピー』といえば、最近の昭和歌謡ブームで、若い世代にも人気の名曲です。リアルタイムで聴いた世代は「イントロが流れると甘酸っぱい青春がよみがえる」という方も多いでしょう。

 でも僕はこの曲のイントロを聴いただけで、全身から汗が噴き出すほどの緊張に襲われてしまうのです。生まれて初めて“生”で対面したコメディアンの影響で……。

 渡辺プロダクションにレッスン生として合格したばかりの1984年2月。16歳だった僕は、番組のオーディションを受けることになりました。番組名は『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系、1982~1985年)です。

 当時“視聴率100%男”と呼ばれ、一世を風靡していた萩本欽一さんがメインを務める公開バラエティーで、佐藤B作さん、清水由貴子さんら、番組から生まれた「欽ちゃんバンド」のメンバーが人気を博していました。

 その中でも最大の“ブレイク”を果たしたのが、風見しんご(当時「慎吾」)さん。歌手としてもヒットを飛ばす風見さんは、歌って踊れて面白い、僕の理想とする芸能人でした。その風見さんが多忙でやむなく番組を卒業するということで、急遽、新メンバーのオーディションが開催されることになったのです。

 会場は赤坂にあるTBSのリハーサルスタジオ。ドキドキしながら足を踏み入れると、目の前には、なんと“欽ちゃん”ご本人が!

オーディションで心によぎった
「ここで俺の芸能人生は終わる」

 緊張感漂う中、オーディションは始まったものの、台本があるわけでもなく、いきなり萩本さんから「はい!そこからここまで歩いてみて」と指示されました。

 言われるままに歩き出すと、「そこのバケツに熱湯が入っているから手を入れて!」と追加の注文が。僕は「はい!アチチ、アチチ!」と、なんとかパントマイムでリアクションを返します。

 ところが、だんだんと興が乗ってきたところで、突然「おいキミ、そこに熱湯なんかないよ」とはしごを外されてしまい……。「え、欽ちゃんが熱湯って言ったのに?」と思わず呟き、ワケが分からないまま唖然としました。

 今なら「リアクションそのものではなく、どこか別の部分を見ているのかも」とか、いろいろ考えて、冷静に対応できるかもしれませんが、その時は頭の中に「?」を浮かべたまま何もできなくて……。でも「聞いちゃダメ」ですよね(笑)。