1次オーディションがどうなったのか、よくわからないまま、今度は萩本さんから突然、トランペットを渡され、「これで『赤いスイートピー』を吹いてみて」と言われました。またもや固まってしまう中山少年。だって、吹けるどころか、本物のトランペットを見たのも初めてです。しかも目の前で笑みを浮かべる萩本さんは、テレビと同じように目尻は下がっていたけど、目の奥が全然笑っていません……。

「どうしよう、吹けなかったら、ここで、俺の芸能人生は終わる」

 トランペットを手に、気が遠くなりました。

 そこから、どれくらいの時間が経ったでしょう。とにかく無我夢中でした。覚えているのは、先生の指導で必死に練習したこと。ウンともスンとも言わなかったトランペットから「プ!」と音が出て、その後、ヘタながらも、奇跡的にメロディーを奏でられるようになったこと。欽ちゃんバンドとセッションのようなことをしたこと。そして、憧れの大スターとの思い出を形に残そうと、萩本さんに手帳を渡し、サインをもらったこと……。そんなシーンを断片的に記憶しています。

夢だったのかと思い返す
幻となったオーディション

 数日後、電話で告げられたオーディションの結果は、風見さんの出演継続。つまりオーディション自体がなかったことに。「いやー、大将(萩本さん)も君を気に入ってくれたんだけどねぇ」。受話器の向こうで恐縮するスタッフの声を聞きながら、僕の頭の中には、萩本さんの往年のギャグ「バンザーイ、なしよ!」の声がリフレインして……。

 あまりに衝撃的な経験で、今もたまに「もしかして、あのオーディションは夢だったのか」と思うことがあります。

 ただ、当時の手帳を開けば、欽ちゃんのサインがあり、その横に、ご本人の字で「欽ちゃんバンドに?」とも書かれている。この「?」の字を見るたび、あったかもしれない“欽ちゃんファミリー中山秀征”の芸能人生を妄想してしまいます。もしかしたら風見さんみたいになれたかな?でも、見栄晴に先輩ヅラされたのかな?

 デビューした後も『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)では、毎年、タイトなスケジュールの中、必死に練習を重ねて本番に臨んでいましたが、どんなにプレッシャーがかかっても、「1日で『赤いスイートピー』を吹け」というムチャ振りに比べればマシだろうと、気持ちが落ち着きました。