次のキャリアは
いつぐらいから意識していたのか

3

山崎 室長から直接、電話がかかってくることはまずなくて、よほどいいことか、よほどへまをしたかどちらかです。まず、「何かへまをしたかな」と思いました(笑)。

 もちろん、ミッションに選ばれたことはとてもうれしかったです。ただ、宇宙飛行士の選抜に合格後、「ミッションに行きたい」と思いながらアサインされなかった経験を何度も重ねていましたし、それは今回、選ばれなかった同僚たちも同じです。ですから、単純なうれしさともまた違った、身が引き締まる感情でもありました。

神武 選ばれなかった場合はどうするのですか。

山崎 もちろん、宇宙飛行士同士、お互い「自分こそがミッションに選ばれたい」という競争心もありますが、ミッションに選ばれなかったときには、そのミッションを全力でサポートします。

 2003年にアメリカのスペースシャトル「コロンビア号」で事故があり、残念ながら7人が犠牲になりました。事故が起こると、人命が失われ、宇宙開発の予定も大幅に変更となります。ですから、たとえそのミッションに自分が選ばれなくても、お互いに精いっぱい支え合って、開発を着実に進め、ミッションを成功に導く。それはチームにとって大切なことですし、自分のためでもあります。そうした危機感を共有した経験は、自身が成長するうえで非常に大きかったと思います。

 いざ自分が宇宙へ旅立つと、地上でサポートしてくれる仲間の存在は本当にありがたいものです。自分が地上で仲間のサポートをしていたときに、「こういうサポートがあると(宇宙で活動する仲間に)喜ばれるんだな」「こういうサポートで宇宙開発が回っているのか」といった、「ビハインド・ザ・シーン」を学べたことは、宇宙飛行士として活動を行ううえで、非常に役立ちました。

神武 山崎さんはいま、日本の宇宙産業の振興などを行ったり、Space Port Japan(スペースポートジャパン)の代表を務められていたり、新しいキャリアを歩まれていますね。

山崎 アジアの中で宇宙輸送のハブになっていくことで、宇宙産業の振興に寄与することをSpace Port Japanでは目指しています。また、(公益財団法人)日本宇宙少年団などで宇宙に関する教育にも取り組んでいます。

 もちろん、宇宙にまた戻りたいという思いはありますが、今後、国際宇宙ステーションも寿命を迎えていき、月や火星を目指すとなると、国の宇宙飛行士の人数はいまより大幅に増えることはないだろうという現状があります。

 宇宙を体験する人がどんどん増えてほしいという願いから、宇宙開発のボリュームを増やし、人々がもっと宇宙を訪れやすい時代をつくり、そのうえで自分も宇宙に行きたいんです。

 そのためには、国だけでなく、民間事業が活発になって、官と民の両方で宇宙開発と地上とをつなぐ必要があります。ですからいま、民間と政策面と、両面から宇宙に関わることで、その動きを推進できればと思っています。

神武 まさに「キャリア自律」ですが、いつごろからそのようなキャリアを考えていたのですか。

山崎 宇宙でミッションを行っている時、JAXA、NASA、そのほか、本当に多くの人たちに支えてもらいました。そして、ミッションの訓練の時から、アメリカのスペースシャトルの引退は見えていましたし、民間で有人の宇宙船を開発する流れも活発化していました。

 当初は、民間の有人宇宙船に関して賛否両論がありましたが、アメリカで徐々に官民で盛り上げていこうという流れが生まれてきているのを見ていて、日本もきっとそうなるだろう、そうなってほしい、という思いが強まったのです。実際、いま、日本でも民間の宇宙開発力が高まっており、非常にわくわくするフェーズになっています。

 日本の主要産業の一つとして宇宙開発が根付き、私たちの身近な生活に宇宙産業が当たり前にある、そのような、地上と宇宙がもっとシームレスにつながる世界を目指していきたいと思っています。

 神武先生は、JAXAを辞められてから、大学院の教授や小学校の校長などのキャリアを歩まれています。どのような経緯だったのでしょうか。

想像していなかった人生もまた楽しい
やってみなくてはわからないことは多い

1

神武 JAXAからの派遣という形で大学院に籍を置き、博士号を取得した時、大学では一人の教授が、教育者、研究者、ビジネスパーソンという3役を担っている、そういうかっこいい方がいっぱいいて、私もそうなれたらいいなと思ったんです。それがひとつのきっかけです。

 そのような中、のちの上司となる、狼嘉彰先生(※)から、大規模で複雑なシステムに関する大学院を新設するので、教員として加わってほしいと声をかけていただきました。話をお聞きするうちに、新しいチャレンジができそうだと思い、急な転職ではありましたが、決めました。
※東京工業大学名誉教授。元・宇宙開発事業団技術研究本部 研究総監であり、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の初代研究科委員長。

 大学教員になってからは、大学院生を対象とするだけでなく、初等教育や中等教育をよくすることが、日本や世界をよくすることにつながると考え、システム思考やデザイン思考を小学生や中学生に学んでもらえるプログラムも実施し始めました。

 そのような中で、そのことを知った慶應義塾の幹部の方々から、「小学生に、世界で起きていることをダイナミックに伝えてほしいので、横浜初等部の校長をやってくれないか」とお話をいただきました。本当に驚きましたが、同時に、光栄だなとも思いました。

 それで、大学院の教授と小学校の校長を兼務するという、JAXAにいた当時はまったく想像していなかった人生になりました。でもそれもまた楽しいものですね。いまだに毎週のように、当時の小学校の生徒の皆さんから手紙やメールをいただいています。ある出来事の報告だったり、悩み相談だったりしますが、すべてお返事をします。私が元気をもらっている気もします。

 ありがたいことに、それ以外にもいろいろな人からお声をかけていただくことが多く、そこからキャリアの転機を経験しているように思えます。

山崎 そうした、人とのご縁や、何かを始めるご縁を引き付ける「秘訣」は何だと思いますか。