マルコ・ポーロの黄金の国「ジパング」の逸話はもっと後の時代になるが、当時すでに、奥州で産出する砂金が国際貿易の重要な取引産物になっていたらしい。清盛も奥州の金を欲しがったことだろう。

 こうして重要軍事物資と交易の財源の両方を手にした奥州藤原氏は、日本の政局のキャスティングボートを握ることとなった。この力を背景に、藤原氏は平泉に京都や鎌倉をしのぐ「浄土」を実現することができた。毛越寺や無量光院などの遺跡を見ると、鎌倉や京都を圧倒するその規模に驚く。

世界遺産・国の特別史跡で特別名勝の毛越寺浄土庭園の池=岩手県平泉町世界遺産・国の特別史跡で特別名勝の毛越寺浄土庭園の池=岩手県平泉町 Photo by R.K.

 中尊寺にある7000巻もの宋版一切経は4トンの砂金で中国から買ったという。中尊寺金色堂内陣の柱は、奄美大島産の夜光貝で荘厳されている。藤原氏の貿易船は北上川から太平洋を通り、中国まで遠征していたかもしれない。

「辺境」と思われるような地であっても、時代が求める物産は川や海の力でつながり、世界の歴史を動かし、その地域を輝かせる源泉になり得るのだ。