自分のヴォイスで語る時、人はだいたい小さな声になります。それまで自分を含めて、誰も口にしたことのない言葉を探りながら、それを口に載せるわけですから、1つのセンテンスができあがるまでにかなりの時間がかかることがある。時間をかけても、センテンスがうまく終わらないこともある。「私は……」と切り出したけれど、後が続かないということがある。でも、それは自分のヴォイスで語ろうとしているから起きる現象なのです。僕はそういう語り口を自分に許すことのできる人を「自分のヴォイスを見つけた人」だと思っています。

 ですから、これは「大きな声で、はっきりと」という要請にはまったく噛み合いません。

 自分が生まれてからこれまで1度も口にしたことがない思念や感情を、いまここで語ろうとする時に「大きな声で、はっきりと」言えるはずがない。「大きな声で、はっきりと」言えるのはストックフレーズだけです。定型句だけです。誰かの請け売りだけです。誰かが言っているのを耳にして、記憶していたものを「再生」するだけなら、大きな声で、はっきりと言うことができる。そういうものなんです。

子供が『おずおず』と語る
「ヴォイス」を先生は見逃さないで

 ですから、学校教育の場では、先生は子どもたちに「大きな声で、はっきりと自分の思っていることを言いなさい」という要求をしてはいけない。そんな条件を課したら、子どもたちが口にするのは「誰かの請け売り」になってしまうからです。親から聞いたか、教師から聞いたか、物知りの友人から聞いたか、YouTubeで自信ありげなコメンテーターから聞いたか、出典はわかりませんけれど、「誰かが断定的に言ったこと」なら、大きな声で、はっきりと再生することができる。