人の知性と感情を成熟させるのは
「欲望」ではなく「正直」だ

 だって、嘘と知って書いたものに自分の署名をするわけですから、ほんとうは「すごく気持ちが悪いこと」のはずなんです。それが「気持ちが悪くない」としたら、この人たちが自己形成過程のある時点で「自分のほんとうに言いたいことを言う」ということを放棄したからだと思います。

 それより、「人をだましても、嘘をついても、名声や金やポストを手に入れることを私は心の底から望んでいる」という言明の方を「自分の正直な気持ち」として採用した。名声や金やポストというような「できあいの作りもの」に欲望を感じるのが「ほんとうの自分らしさ」だと、どこかで思ってしまった。

書影『勇気論』(光文社)『勇気論』(光文社)
内田 樹 著

「自分の欲望に正直になれ」と時々脅しつけるようなことを言う人がいますが、こういう定型句にうかつに頷いてはいけません。僕たちが「自分の正直な欲望」だと思っているものの多くは既製品です。世間が「剥き出しの欲望」と呼ぶもののリストを学習して、それをただ出力しているだけということが(実によく)あります。そして、そんな定型句でも、1度出力してしまうと(「所詮、世間は色と慾よ」というような下品なものであれ)、自分の口から出た言葉である以上、それに呪縛されてしまう。

 正直というのは知性的・感情的に人が成熟するためには絶対に必要なものです。