そして、ほんとうに怖いのは、そうやって自分で言ってしまったことを、言った本人は「自分の意見」だと思い込んでしまうということです。これほど大きな声で、はっきりと言い切れるのだから、それが自分の中に根拠を持つ言葉でないはずがない。そう思い込んでしまう。

 よく言いますね、「他人の話はなかなか信じない人も、自分の話は信じる」って。ほんとにそうなんです。どんな定型句でも、1度口にしてしまうと、その言葉は言った本人を呪縛する。人によっては、一生呪縛する。

 僕はだから学校教育で、特に国語教育では、子どもたちに「大きな声ではっきりと、自分の思いや気持ちを言葉にしなさい」という要請をしてはならないと思います。

 請け売りの言葉を理路整然と口跡明瞭に口にして、うっかりそれを先生にほめられたりしたら、それはその子の成功体験になってしまう。それから後、ずっと「請け売りの言葉を繰り返す人」になってしまうかも知れない。

「自分のヴォイス」で語ることは、言い淀み、黙り込み、前言を撤回し、同じ話をちょっとずつ言い方を変えながら繰り返す……ということです。そして、それはたいていの場合、小さな声で、おずおずと語り出される。

 だから、学校の先生は子どもが「小さな声で、おずおずと語り出した」時を見逃してはいけないと思います。それはその子が「自分のヴォイス」を見つけかけた徴候だからです。忍耐づよく、じっと言葉が生成するのをみつめなければいけない。急がせてはならない。結論を求めてはならない。話の腰を折って、言葉の「定義」を求めたりするのは絶対してはいけない禁忌です。