「正直」こそが「自分のヴォイス」の
探求へ向かわせる力になる

 僕が「正直」ということを学校教育におけるとてもたいせつな徳目だと主張するのは、「正直」こそが子どもたちをして「自分のヴォイス」の探求へ向かわせる力だと思うからです。

 僕たちが他人の口にした定型句、できあいのストックフレーズを繰り返そうとすると、そこに微妙な違和感を覚えます。自分の中に起源を持たない言葉なんですから、違和感があって当然です。だから、そのまま口にすることにかすかな抵抗を感じる。

 そのまま「再生」してしまうと、「言い足りない」か「言い過ぎる」か、どちらにしても、自分のほんとうに言いたいこととは「ずれて」しまう。その「ずれ」が気になって、なんとか自分のほんとうに言いたいことに近づけようとして、じたばたする。その「じたばた」を支えるのは「正直でありたい」という願いなんです。

 人が言い淀んだり言い換えたり、同じことを繰り返し言い直したり、前言撤回したりするのは、「もっと正直でありたい」からなんです。

 それは科学者が科学的仮説を立てる時のモチベーションと変わりません。

 時々、データを改竄したり、反証事例を無視したりして、論文を書き上げて、研究業績に加算しようとする「学者」がいます。みつかると学界から放逐されますけれど、彼らに欠けているのは、「正直さ」なんだと僕は思います。