CDOよ、ボブ・マーリーたれ!デザインで異質なものをつなぐ重要性

ユーザー視点で課題解決にフォーカスする「デザイン思考」の重要性が語られるようになって久しい。しかし、デザインの本当の価値は「思考」より「実践」にある、と語るのはパノラマティクス主宰の齋藤精一氏だ。テクノロジーの進展でクリエイティブな活動が民主化された今、ビジネスの現場でCDO(チーフ・デザイン・オフィサー)が担うべき実践とはどのようなものか。豊富な現場経験から導き出された持論を聞いた。(聞き手/音なぎ省一郎、構成/フリーライター 小林直美、撮影/まくらあさみ)

>>前編はこちら

組織に眠れるクリエイティビティを呼び覚ます

──前回、デザイン組織が会社を活性化させる方法の一つとして「クリエイティブアクション」の重要性を伺いました。それ以外に会社のクリエイティビティを高めるためのアイデアはありますか。

 デザイン部門を流動化するのは一つの案だと思います。いろんな部署からデザイン部門に入れ代わり立ち代わり人が出入りできるようにすると、内外両方に良い刺激になるのではないでしょうか。

 2000年代初頭、社会学者のリチャード・フロリダが「クリエイティブ・クラス」という概念を提唱しました。アーティストやデザイナーのように、特別なトレーニングを受けた人たちのクリエイティビティを生かすために、そうした人たちが活躍できる環境を整えるべきだと。でも、僕はそれはもう破綻していると思います。テクノロジーやツールがここまで進化した今、クリエイティビティは圧倒的に民主化しています。そこで重要なのはスキルというより、哲学もしくは視座です。

 例えば、製造業の最終工程を担う品質管理オペレーターがデザイン的な視座を得たら、慣例的なプロセスを観察・考察し直して、無駄な工程をちょっと省いて、サステナビリティを高めようとするかもしれない。そんな動きが全社で起きれば、会社は良い方向に変わっていくでしょう。

──クリエイティビティは誰にでも宿っているけれど、活性化させるスイッチが入っていないということですか。

 そうです。そもそも日本人はクリエイティブコンフィデンス(創造性に対する自信)が低過ぎます。世界は日本のクリエイティビティに注目し、高く評価しているのに、当の日本人がそれを自覚していない。それは、日本のクリエイティブ・クラスが1960〜80年代に相当ジャンプして、デザインを成熟させたことの弊害かもしれません。

 家電にせよファッションにせよ、日本のプロダクトは先進的でコストパフォーマンスも高い。何を買っても一定以上の機能と美しさが得られるから、どこかのタイミングから消費者のデザインに対する意識が希薄になり、結果としてクリエイティブコンフィデンスも低いままになってしまったのかもしれません。しかし、モノも情報も濁流のように押し寄せるこの時代、自分なりの視座があるかどうかは、長期的に生活、働き方、人生をまったく異なったものにしてしまいます。会社も同様で、一人一人の創造性のスイッチが入っていないと未来像が良いものになりません。