実業家や漢学者の住む町で
全戸加入の町内会が誕生

 そこでも、松阪のような古い町と同様に、通りに面した商店主たちが結集して通りごとに町の会をつくっていく。

 この場合はあくまで通りに面した商人たちの組織で、通りには面していない裏店の商店主や俸給生活者は加入していなかった。おそらく自発的に結成される可能性の高かった商店街地区でも、多くは通りに面した商人だけの組織であったと考えられる。

 最初から自発的に全戸加入をうたった町の会は、決して多くはなかっただろう。商人たちのこのような町の会が全戸加入の町内会へと組織されるのは、ずっと後に行政が町内会の整備に乗り出した後のことである。

 ここで、最初から全戸加入をうたって組織された町の会として、金沢のある町の例をあげておこう。

 この町は金沢の中心市街地の周辺に位置していて、郊外から市街地を訪れる人が多く通る道の周りに広がった町である。通り沿いには小さな自営の商店が並ぶだけでなく、織機工場を営む実業家や著名な漢学者も住む町であった。昭和の初めにこの町で自営業者たちが中心になって町の会が作られることになる。当時は周辺の町に町会が続々と設立され、それにうながされるかたちで結成に至ったという。

 残されている結成時の規約には、「本会員ハ同町2番地ヨリ27番地ニ至ル現住者ヲ以テ会員ノ義務タルモノトス」と明確に全戸加入をうたっている。

 設立の目的としては、会員相互の交流を重んじ、「町ノ発展ヲ講ジ且ツ温情融和ヲ図ルヲ以テ目的トス」とされている。人通りが増えて、自営の商店なども立地しだした町の発展を、会員相互の親睦ともに図っていこうというわけである。

 会の発起人はいずれも若い新興の自営業者で、町の名士である実業家を担ぎ上げることで、結成に至ったようである。当初は新年会と忘年会での交流が主な活動であったという。