大衆民主化の時代にできた
まったく新しい住民組織

 つまり、全戸加入原則という点に町内会の本質を求めるとすれば、都市化によって人の移動がはげしくなった大正から昭和にかけての時期に、まったく新しい住民組織として、町内会は成立したと考えられる。つまり封建遺制といった伝統的なものではなく、大衆民主化の時代にふさわしい、ある意味では近代的な組織として町内会は成立したのである。全戸加入は決して強制ではなく、町に住む者なら誰でも参加できる、または参加するべき組織として成立したのである。

 とはいっても、都市のあらゆる地域でそのような組織ができたわけではない。東京の場合、関東大震災以降に都心からその周辺へと人口が流出するが、とりわけ東京の西側の山手地区では、小高い台地に俸給生活者向けの住宅地が開発されていく。そのような地域では自発的に住民組織ができることはまれで、田園都市株式会社(編集部注/現在の東急の母体)などの開発会社が、ある理念をもって住民の組織を前もって作らないかぎりは、住民組織ができることはなかった。

 後の時代に町内会が整備されていくときも、このような地域では全体的に反応が鈍く、唯一退役軍人だけがこれに対応したといわれる。これにたいして小高い住宅地を下った谷底の地区で地主から土地を借りて営業を始めるのが、都市に流入して労働者や雑業者をへて一国一城の主をめざした自営業者たちであった。東京の地元商店街の多くは、このように住宅地から坂道を下ったところに発達したのである。