入会者が限られた「地主会」
誰でも入れる「町内会」

 都市にもいろいろあるので、一概には言えないが、三井家発祥の地・松阪の中心地とその周辺の町に残されている町規約をみると、次のようなことがわかる。

 幕藩期以前から都市の中心に位置していた町では、一軒前とよばれる土地持ちの商家が通りに面して細長い敷地を有して並んでいた。これらの商家も明治の後半には町規約をもつようになる。そこでは町内に土地を所有する者が町の構成員であり、町外に住んでいる土地所有者にたいしても記名捺印を求め、規約の遵守を要求している。とりわけ土地の売買貸借については、あらかじめ町内の承認を求める内容となっている。

 これにたいして、都市化によって人の出入りがはげしくなった、その周辺の町で昭和の初めにできた町規約では、町内に土地家屋を所有する者であっても、町外に居住している場合は権利がないことが明記され、土地家屋を所有しない借家人・寄留者にたいしても、規約の遵守を求めている。つまり、都市化によって流動性が高まるにつれて、町規約において土地所有者の組織から居住者の組織へと変化していくことが見て取れる。

 中村八朗(編集部注/戦後日本の都市社会学の泰斗。筑波大学で教鞭を執った)も都市における町内の住民組織としては、古くは土地所有者だけが入ることのできる地主会が一般的で、これにたいして全戸加入という性質をもつ町内会は後からできたもので、誰でも入れるという意味ではむしろ開放的な意味をもったのではないかと推測している。