日本代表のキャプテン、監督、経営層……
それぞれのマネジメントの違い

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宮本 立場によって、組織の成長に向けたアプローチ方法が変わっていったと思います。

 キャプテンの時は、試合で結果が出ないと、ミーティングなどで「どこが問題点だったのか」とか、「こうした形がいいのでは」と、皆でディスカッションしながら、皆を巻き込み、次の勝利のためにひとつのベクトルへ向かっていく、そのようなやり方をしていました。

 指導者として、U-13やU-18などの子どもたちを見ているときは、結果を急ぐよりも「自分たちで考えてみよう」と成長を待つ、そのようにアプローチしていました。

 ただ、その後、プロチームの監督になると、選手の成長だけでなく、同時に結果も求めなくてはいけない。ですので、皆を巻き込むというよりも、結果が出なければ責任を取る覚悟で、トップダウンに近いマネジメントだったと思います。

 その後、(日本サッカー協会の)経営側という立場に立って必要だと感じたのは、「サーバントリーダーシップ(※)」のようなアプローチです。選手の話をよく聞き、チャレンジを促し、コミュニケーションをしっかり取る。森林さんがおっしゃったように、選手も監督も経営も役割が違うだけだという考え方も採り入れるべきだと思っています。
※「まず相手に奉仕し、その後、相手を導く」タイプのリーダーシップ

ウルヴェ 「自分らしくあったとしても、どこへ向かったらいいかわからない」ではなくて、「自分がどのような役割でその行き先へ向かうか」。それが理解できた時、人は成長したくなるのだと思います。

 とはいえ、向かう場所が見えていたとしても、個は本来バラバラなので、本音を言える環境、心理的安全性がそこになくてはならない。そこが難しいところだともいわれていますね。

 皆さんにお聞きしたいのはそうした困難です。マネジメントの過程で「こうした困難があったけれど、苦労して何とか乗り越えた」という具体的な経験があれば、ぜひ教えていただけますか。

宮本 選手時代の話ですが、ワールドカップ出場が決まるかどうかという頃、日本代表チームの成績がかんばしくなく、そのために世論からの批判も受けていました。チームの雰囲気も良くありませんでした。

 予選が直前に迫る中、(チーム内で戦う)紅白戦において、試合に出る予定だったメンバーが、控えのメンバーにコテンパンにやられてしまったり、メンバー間で守備や連携の責任の押しつけ合いをしたりと、とてもじゃないけれどこのままでは大切な予選を迎えることはできない、そのような状態でした。そうした中、ある先輩を呼んで皆に話をしてもらったんです。

「オレは子どものころの夢だったワールドカップに出たいよ。でもおまえらならそれができるんだ」と先輩が言ったとき、それを聞いたメンバーは皆、ふっと憑き物が落ちたような表情になったんです。

「何のために今、サッカーをしているのか――。夢の舞台でプレーしたかったから、日本チームが世界で活躍するところを見せたかったからではないのか。細かいことでお互いを批判し合っている場合ではない。大きな目標に向かって、皆で協力しなければならないんだ」と、誰もが気づかされました。

 それからはチームの雰囲気は一転し、課題が出ても批判や押しつけ合いをするのではなく、それをどう乗り越えるべきか、建設的な議論や調整が行われるようになりました。翌日の再度の紅白戦では、選抜メンバーが勢いを取り戻し、本戦もアウェーにもかかわらず、上首尾に戦うことができました。

ウルヴェ ワールドカップに出たいからサッカーをやっているのに、チームの調子が悪いとそのことを忘れ、細かなところで行き詰まってしまう。でも、その先輩にあらためて原点を指摘され、そんなことをしている場合ではないと、大目標を思い出したのですね。

宮本 メッセージが、皆のプライドをすり抜け、サッカーを始めたころの原風景に響いたんでしょうね。

ウルヴェ シンプルですが非常に重要なことですよね。森林さんはいかがですか。

森林さん

森林 困難は本当にたくさんありますね。例えば、野球のチームでは、マネージャーの存在は重要です。一方で、皆、プレイヤーをやりたくて、野球チームに入ってきます。ある高校 1年生に「マネジャーをやらないか」と打診したら、泣いて断られました。「プレイヤーがいい。プレイヤーとして活躍する姿を、親も、出身チームの指導者も、皆が期待してくれているんです。僕の夢を奪わないでください」と。

 マネージャーは1学年に1人で、私は練習のサポートだけでなく、必要なものを調達したり、金銭のやりとりをしたり、来客の対応をしたりと、それまでの高校野球のマネージャーの役割よりも重い、チーム全体のマネジメントに関わる、かなり大事な仕事を任せようと思ったのです。

 私は、マネジメントの素質が彼にはあると思っていたので、何度も説得して引き受けてもらいました。ただ、「そこからメキメキと能力を発揮した」という話ではなく、最初はやはり、いやいやマネジャーをやっていました。

 でも、メンバーからも心から頼られて感謝の言葉をかけられるようになると、次第に仕事の重要性を理解して前向きにやってくれるようになり、チームになくてはならない素晴らしいマネジャーへと成長していきました。今では、大学の部活に入ってもマネージャーをしたいとか、高校卒業後も後輩のマネージャーをサポートしたいとか、自ら言ってくれています。人は期待ややりがいで変わっていくものなんだと、あらためて感じました。

 タイミング、本人の情熱、周囲の理解など、読めない変数だらけではありますが、短期的に答えを求めて引き下がるのではなく、相手を信じて「まずはやってごらんよ」と長期的な視野で、チャレンジを促す。そうしたことも指導者として必要なことかなと思っています。

ウルヴェ 島田さん、そこはやはりビジネスでも重なる部分はありますよね。

島田氏

島田 そうですね。組織のレベルやフェーズでも違ってくるかと思います。スタートアップで数人しかいない場合もあれば、10人、50人、100人とスタッフが増えるたびに、組織のあり方を都度、リセットして、つくり直していかなくてはならない場合もある。

 千葉ジェッツの時は、社員数も少ないですし、つぶれるわけにはいかないので、本人たちの思いがどこにあるかはさておき、過保護だったかもしれませんし、強引だったかもしれませんが、何より生き延びることを最優先しました。

 B.LEAGUEは、職員も多く役員もいて、優秀なスタッフが集まっている。これまでの私のキャラクターも通用しないので、手法をガラッと変える必要はありました。

 それに、改革を行おうとすると、必ず一定数、否定的な人たちはいます。改革に反発はつきものということは肝に銘じているので、否定派に対しては「そう思うのも、もっともだよね」と、タフに、そしてていねいに向き合おうと努めてきました。森林さんがおっしゃったように、最初はNoでも、理解が深まればYesになってくれる人はたくさんいます。

 もちろん、私1人で改革の必要性を繰り返し言い続けても100人に浸透させることは難しいので、役員やマネージャークラスのメンバーの力も借りました。彼らと差しで飲みに行ったりもして、思いを語り、チームが目標を成就するためには改革が必要であることを説得し、理解してもらう。役員やマネージャーの理解を得られるかどうかもカギで、そこから全スタッフのレイヤーへと、浸透させていきました。

田中氏

宮本 やはり「飲みニケーション」は存在するのですか。

島田 いえ、基本は「飲みニケーション」は常套(じょうとう)にはしていません。それを常套にしてしまうと深い話ができませんからね(笑)。根回しのようなこともほとんどやらないタイプなので。ただ、「ここだけは絶対に突破しないと、後につながらない」という局面でのみ、理解を得るため、深めに話をします。

ウルヴェ ビジネスの能力は、どのような分野でも役立つものと思いますが、島田さんはなぜキャリアの舞台に「スポーツ」を選んだのですか。