家族の手足となって動く遠藤が行っているのは、関係の歪みから生まれた一種の“孤立ビジネス”である。

「終活」といえば聞こえはいいが、縁なき人々の“後始末”であり、特殊清掃業者が“死後の後始末”であるならば、遠藤の場合は“生前の後始末”に他ならない。

 特殊清掃業者数がうなぎ登りで伸びているのと同様に、こういった「レンタル家族」のような終活ビジネスはますますこれから需要が増していくだろう。

書影『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日新聞出版)
菅野久美子 著

 そして、遠藤のような疎遠となった家族の「面倒くさいこと」を「お金」で引き受ける業者は、まだ始まったばかりで試行錯誤が続いているものの、急増してくるはずだ。

 確かに、遠藤が言う通り、糸が切れてしまった凧を探しあてるのが困難なように、一度絶たれた親族関係を今さら修復するのは不可能だ。

 逆に、孤立した親族の“後始末”をお金で解決したり、第三者の手によって処理できたりするというのは、追い詰められた親族の救いとなることもある。

 しかし、私は遠藤のビジネスに、無縁社会の成れの果てを垣間見た気がした。