菅義偉内閣が「温室効果ガス46%減」を決断した背景、大胆目標を公約で「退路を断つ」国・地方脱炭素実現会議に臨む筆者と小泉進次郎環境大臣(手前・当時)。2021年6月撮影 Photo:JIJI

私が総理として掲げたカーボンニュートラルの実現は、喫緊の課題であると同時に長期的な視点に立つ必要のある政策だった。その実行には、関係者の協力が欠かせない。今回は、いかにして環境政策を進めてきたかを振り返りたい。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)

脱炭素政策は
喫緊かつ長期的な課題

 リーダーが決断しなければならない政策には、大きく分けて二つの種類があるように思う。既に問題が顕在化しており、先送りが許されない喫緊の課題に対応するための政策。そして国内だけでなく世界的な潮流や、長期的視点から見た場合に手を打っておかねばならない政策だ。

 私が総理として掲げた「2050年カーボンニュートラルの実現」は、その二つにまたがる政策といえるだろう。

 2050年カーボンニュートラルとは、二酸化炭素やメタンガスなどの温暖化ガス排出量から、森林吸収や排出量取引などで吸収される量を差し引いて、全体として「排出ゼロ」とする取り組みを指す。

 温室効果ガスによる地球温暖化の問題は既に顕在化している課題であると同時に、長期的な視点をもって取り組まなければならない課題でもある。さらに国際的潮流からしても、日本が脱炭素社会の実現に背を向けることは許されない状況にあった。

 しかしながら、それまでわが国は、思い切った対策や戦略を打ち出すことができていなかった。依然として地球環境問題が長期的な課題であると考えられてきた一方で、急激なカーボンニュートラルがもたらし得る経済や暮らしへの短期的な悪影響が懸念されていたからである。

 私は、手遅れになる前に、全人類的課題として地球温暖化問題にしっかりと向き合う必要がある、そして、温暖化対策は、経済活動の制約ではなく、むしろ、新たな投資やイノベーションを生み出す「機会」である、との発想の転換を行うべきだと考えた。

 そして、慎重な意見がさまざまあったが、最後は誰とも相談せず、私一人で「2050年カーボンニュートラルの実現」を決断し、20年10月の臨時国会の冒頭でそれを宣言した。