世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、『真理の言葉(ダンマパダ)』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

日本に伝わった仏教は、お釈迦様の直接的な教えではない。では、釈迦オリジナルの教えとはなんだったのか? 覚者としてのブッダの言葉を詩の形式で集めた経典。仏教のすべてはここから始まった。

基本的な仏教をおさらいしてみよう

『真理の言葉(ダンマパダ)』(法句経)は、仏教の教えを短い詩の形式にした仏典です。

『スッタニパータ』とともに釈迦入滅後の時期の経典の中でも、早い時期にまとめられたと考えられています。つまり、釈迦の残した言葉にもっとも近いわけです(それぞれ、中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』<岩波文庫>として訳されています)。

 この語録は、非常にシンプルで、かつ心に深く響く教説が続いていくのが特徴となっています。

「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを持ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(同書)

 あるいは「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」というように、私たちの生活にすぐに取り入れることができるような教訓が並んでいます。

 後半では、「生老病死」の四苦が説かれています。「生老病死」とは、生まれる苦しみ、そして、年老いていき、病と死がまっているという苦しみです。

この容色は衰えはてた。病の巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりでやぶれてしまう。生命は死に帰着する」(同書)

 この句は、見なかったことにしたいようなキツい教えです。

 しかし、実はこういうことを、生きていく上で、できるだけ早めに自覚しておく方が、結果的に人生全体の苦しみが和らぐのです。

苦しみから脱出する方法はこれだ!

 人生の根本は苦しみですから、これを四法印では「一切皆苦」といいます。

 人生のゴールが老病死というのは、なんとも悲しい現実です。では、どうすれば、この苦しみから脱することができるのでしょう。その道標が「四つの尊い真理」(四諦)です。

 それは、(1)「苦しみ」、(2)「苦しみの成り立ち」、(3)「苦しみの超克」、(4)「その方法」です。

 まず、私たちの苦しみに満ちた人生は、誰のせいでもなく、自分自身の心が作り出す煩悩によるものです。だから、初期の仏教では、神のような存在に頼って救ってもらうという考え方をもちません。

ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し、行動するなら、その人には苦しみが付き従う。あたかも車輪が、それを牽く牛の足に付き従うように」(同書)

 このように厳しい教えが初期の仏教の特徴です。

 自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。すべての存在が、「縁起」によってつらなっているとされ、原因と結果が密接に結びついています。

 また、「私」という存在も私のものではないのです。ましてやあらゆる所有物は幻想です。

わたしには子がある。わたしには財があると思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか」(同書)

 仏教では、「私」は本質のない存在であり、これは「無我」と表現されます。自分の中に「私」を探したところで、それはどこにも見つからないのです。

 人間の存在を構成する要素は「色・受・想・行・識」(五蘊)です。

 私はパーツの寄せ集めであり、すべては縁起の法で貫かれている。こうして修行の末に煩悩を滅することで、輪廻から脱出(解脱)して、涅槃に入るとされました。

 この初期の仏教は、大乗仏教によって、大きな展開をみせることになります。