大人が若者にミッションを
持たせることができていない?
少し耳に痛い話ではありますが、もしかしたら現代の若者がミッションに出会うことができず、情熱を持って取り組む何かを発見できないのは、それを大人が与えることができていないから、という考え方もできます。私たち自身が、何かに情熱を持って取り組むことが減っている可能性もあるでしょう。
情熱を失った企業は、トップが社員の情熱を生み出すミッションを与えていないと言えるかもしれません。結果として社員が自主的に情熱を持てる環境がなければ、義務的な業務以外は果たすことはないでしょう。
書籍『日本で一番大切にしたい会社』(坂本光司著/あさ出版)は、50万部の実績を誇るベストセラーですが、大切にしたい理念を掲げ、周囲の人を惹き付けながら仕事を進めるという意味で、ミッションを持ち、経営者と社員が共有できている良い関係の見本とも言えます。
逆の見方をすれば、「大切にしたい会社」は日本においても極めて珍しい存在になっているのでしょう。少ないからこそ、このシリーズ書籍に感動する人が多かったのです。
練磨の時代の上司と変化の時代の上司像、
2つのタイプの違い
昨日と同じことを、少しでも上手くできることに「価値」があった時代には、閉じられた環境の中にあるルールに従うことにも優位性がありました。
剣術のように「極める」ことが意味を持つのです。
ところが、別の体系の技術、例えば鉄砲が戦闘に用いられると剣術の優位性は消滅してしまいます。突破口を見つけるため、鉄砲の威力や構造を知らなければならず、その上で「正しい相手の実力と状況」を乗り越える策を、広い範囲から探さなければなりません。
「相手を正確に知る」+「さらに広い視野」が必要になるのです。
「剣術型の上司」は、自身の経験値をモノサシにして部下に指導を行います。「鉄砲時代の上司」は、現状把握や広い視野を部下に伝えることで指導をしていきます。
例えるなら、福沢諭吉は後者の上司であり、幕末に古い学習スタイルを棄却した人物だということができるかもしれません。過去の権威による「学習」は現実社会で役に立たないことを喝破して、日本人に極めて広い視野と彼我の実力差を教えたからです。
時代が変化しているのに「練磨だけ」の上司についていくことはできません。何も考えずについていくと、部隊ごと全滅してしまう可能性があるからです。
明治維新後、書籍『学問のすすめ』は300万部以上売れることで、変化の時代にどう直面すべきかを国家単位で国民に指し示すことになりました。そこにはグローバル化に勝つ本質的な構造があったからでしょう。