単に歴史を書き換えたにすぎない

 ところが「夏商周年表プロジェクト」では、中国の歴史として夏・商・周の年表を作成した。約200人の学者が参加し、天文学、考古学、文献学などの手法を取り入れて研究を進めた結果、次のような“歴史”を定めた。

◆夏王朝:紀元前2070年頃~紀元前1600年頃
◆商(殷)王朝:紀元前1600年頃~紀元前1046年頃。そのうち殷墟(いんきょ、河南省安陽市)への遷都は紀元前1300年頃
◆周王朝:紀元前1046年頃~紀元前256年

 周王朝については、各時代の王の在位年も確定している。

 この“歴史”は従来の古代中国史と異なり、根拠が乏しいことから、外国の歴史研究者から批判されたし、その“説”を信じる人もいない。日本の中国史研究者たちも、さすがに認められないという立場が多かった。商王朝以前が実際にあったとする根拠に乏しいからだ。

 新たな文献の発見や科学的な研究方法の進歩によってこれまでの歴史が見直され、修正されることはある。しかし有力な根拠がない場合は、単に歴史を書き換えたにすぎない。

いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え『中国を見破る』楊海英 著(PHP新書)

 2000年に終了した「夏商周年表プロジェクト」の内容は、2004年にスタートした「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。

 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。

 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか。