「カリタス」としての「聖霊」は、神性と人性をつなぐ存在でもあるのだ。
「聖霊」を「カリタス」と読み替えるアウグスティヌスにおいて、「カリタス」の女性性は、言葉の綾ないし文法的性の問題に過ぎない、という反論が返ってくるかもしれない。もちろんそれは誤ってはいない。
とはいえ、この神学者がそこで育ち親しんだ古代ローマの異教文化において、「カリタス」ははっきりと女性の姿で描かれてきた。「ローマのカリタス(慈愛)」がそれで、餓死刑にあった父親キモンを助けるために、ひそかに自分の乳を与えてその命を救おうとする娘ペローの話である。
古代ローマの歴史家ウァレリウス・マクシムスや博物学者大プリニウスが伝えているので、アウグスティヌスがこの話を知らなかったとは考えられない。
ヘブライ語「ホクマー(知恵)」は女性名詞
旧約聖書は霊を知恵と同一視している
一方、「聖霊」を「ソフィア(知恵)」になぞらえているのは、先にもふれた『使徒ユダ・トマスの行伝』である。「ソフィア」もまたギリシア語の女性名詞で、トマスは「少女」と呼んで「ソフィアの讃歌」なるものを披露する。いわく、「少女は光の娘、彼女に王らの高貴な輝きが在りて在る。/その顔は喜びに満ち、/まばゆきばかりの美しさに光り輝く」(荒井献訳)、と。