とはいえ、「霊(プネウマ)」を「知恵(ソフィア)」に結びつける考え方は、早くもすでに使徒パウロの『コリントの信徒への手紙1』のなかに認められる。
それによると、「神の知恵」は「世界の始まる前から定めておられたもの」であり、神は「“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました」(2.7-10)、というのである。これを受けるようにしてアウグスティヌスもまた、「あなた〔神〕から生まれ、あなたに等しく、あなたとともに永遠であられるあなたの知恵」(『告白』13.5)と呼んでいる。
パウロのこの解釈は、『創世記』の冒頭(1.2)、「神の霊が水の面を動いていた」を踏まえたものである。さらに、この「霊(ルーアハ)」を神の「知恵(ホクマー)」と同一視する見方は、すでに旧約聖書のなかで芽生えている。
たとえば、『箴言』において「知恵」が一人称で、こう呼びかける。「主は、その道の初めにわたしを造られた。/いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。/わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき」(8.22-24)、と。