『三四郎』に描かれる東大生の生活には女性が存在しないわけではない。しかしそこに登場する東大関係者の男性たちは誰ひとりとして女性とまともなコミュニケーションができていないし、しようともしない。

 野々宮宗八や三四郎の友人の佐々木与次郎、第一高校(今日の東大教養学部)の教員である広田先生との交流は極めてホモソーシャルな男の世界である。

 漱石の描いた東大はあくまで男の領域で、知性豊かな女性である美禰子やよし子がその一部となる余地はない。東大と東大生にとって、女性は異質な他者であった。

三四郎池は本来ならば
「美禰子池」が適当ではないか

 三四郎が美禰子と看護師に出会った池は、もともと加賀藩前田家の庭園である育徳園の一部で、「心字池」という名であった。

 今日、ここは「三四郎池」として知られている。本郷キャンパスのほぼ中央に位置しており、高台から周囲を鬱蒼と囲む木々のあいだを降りていくと、静かな水面が現れる。

 キャンパスが学生や観光客でいっぱいになる日でも、訪れる人はあまりいない。この池が三四郎池と呼ばれるようになったのがいつか明確ではないが、1946年の『帝国大学新聞』(現在の『東京大学新聞』)にはすでにその名称が使われていた(注2)。

注2 東京大学キャンパス計画室編『東京大学本郷キャンパス 140年の歴史をたどる』東京大学出版会、2018年、16頁