「何が辛かったって…」
神崎さんを打ちのめしたひと言
さすがの私も、堪忍袋の緒が切れかかった。
「恐れ入りますが、少しお静かにいただけませんか?振り込みの金額をお直しします。こちらに来ていただけませんか?」
「あん?命令してるわけ?こりゃあ驚いたなあ。あのおっさん、クビにしろよ。お前の部下だろ?ろくに案内もできないんだからさ」
「直すのか直さないのか、どちらになさいますか!」
私の声がATMコーナーに響くと、ほとんどの利用客がこちらを見た。
「クソが!こんな銀行、2度と来ねえよ!」
男性はバツが悪かったのか、捨てぜりふを残して支店から出ていった。振り向くと、神崎さんの目が真っ赤になっていた。
「気にしないで下さい。こちらは大丈夫ですから、少し休憩して下さい」
事実確認を行ったところ、騒ぎの経緯は次のようなものだった。
神崎さんが「振込金額はこれでいいですか」と男性に確認し、それから男性が自ら手続き完了ボタンを押した。しかし、その後、男性は突然思い出したのか、振り込み手数料を差し引いて振り込む話をし、騒ぎ始めた。
つまり、神崎さんは間違えておらず、男性の言いがかりだった。
休憩室に行くと、神崎さんは明かりもつけずに座っていた。
「すいません、ご迷惑をおかけしました」
「神崎さんは何も悪くないじゃないですか。気にしないで下さい」
「何が辛かったって『こんな仕事しか』と言われたことです。あんまりですよね」
「客だったら何を言ってもいいだなんて大間違いです。僕や支店のみんなは、神崎さんを尊敬してます」
目黒冬弥 著
他人の仕事について、格が高いとかそうでないとか、誰も決めてはならない。神崎さんはこの仕事に誇りをもって頑張っている。「庶務行員は誰にでもできる仕事だ」などと、私はひとつも思わない。
しかし、銀行という組織は、内部ですら上から下を見下ろす文化がはびこってきた。「営業が上、事務は下」「都心支店が上、地方支店は下」「大規模支店は上、小規模支店は下」など。そんなヒエラルキー型組織が、銀行業界の発展を遅らせていた元凶だと感じる。
銀行に行き、ATMコーナーで案内している人を見かけたら、ぜひ思い出してほしい。今日も、神崎さんはみなとみらい支店で懸命に勤務している。
入社から四半世紀。悲喜こもごも、いろいろあった。今日も私はこの銀行に感謝しながら働いている。
(現役行員 目黒冬弥)