【前回までのあらすじ】総理大臣を暗殺する計画が目の前で進行するなど、「政界の黒幕」の老人宅での生活はレイ子にとって信じられないことの連続だった。そういった特殊な環境下で、彼女は老人の「なぐさみ者」にされていく。(『小説・昭和の女帝』#6)
日本の敗戦を見据えた「闇の資金」づくりが始まる
その年の暮れにいよいよ米英との戦争が始まった。シンガポールなどで日本軍は連戦連勝。破竹の勢いだった。年が明けても街は高揚感に包まれていた。
対照的に、真木邸は静かだった。その静けさは、レイ子が経験したことのないものだった。頻繁に来ていた政治家も寄り付かなくなっていた。
軍人が出入りしていたのも甚八や鬼頭紘太らが近衛文麿総理の暗殺を企てていたころまでで、最近はめっきり減った。甚八は国際情勢や政治への興味を失っているようにすら見えた。
レイ子はといえば、着々と甚八の心をつかんでいた。料理は女中に任せたままだが、八百屋や魚屋などへの支払いはレイ子がするようになった。甚八の経済力を把握できるかと思ったが、意外なほど質素な暮らしぶりが明らかになっただけだった。支払先で最も多いのは豆腐屋だった。護衛などとして使っている男たちの食事は、豆腐や厚揚げ、がんもどきなど豆腐屋から購入するものが多く、肉や魚を出すことは稀だった。
3月に入ると、真木邸に客が再び増え始めた。政治家がちらほらと訪れるようになったのだ。レイ子はその理由に気づかなかったが、後になって国政選挙があったからだと悟った。「これではいけない」と思い、毎日、甚八が読み終わった新聞に目を通すようになった。
◇
ある日の夕方、彼女は庭を歩いていた。庭は荒れた山寺のようだった。築山にはススキが折れたまま放置されている。
初めて屋敷を訪れたとき、庭を案内してくれた年増の女中が一緒だった。甚八から、フキノトウを採ってこいと言われ、二人で見つけにきたのだ。女中は庭の南の隅のほうで枯れたフキの葉を見つけた。
「レイ子さんは都会育ちだからご存じないかもしれませんが、フキの枯れ葉から茎をたどっていくと、その先にフキノトウがあるんです」
果たして、茶色く変色した茎をたどると、きれいな黄緑色をした蕾が見つかった。
摘んできたフキノトウを天ぷらにしたのを夕食に出すと、甚八は「うまい。やはり美味だなぁ。苦みが実にいい」と喜んだ。
甚八は65歳になり、平均寿命を越えていた。だが、体は案外、健康だった。その秘訣として、酒を一滴も飲まないこともあるだろうが、レイ子は自分が夜の相手をしていることも大いに貢献しているはずだと自負していた。
「先生も国難に当たって、ご活躍のようですね」
食卓を囲みながらレイ子が言った。甚八は「お前は食いっぷりがいい。見ているとわしも食欲が出る」と、彼女が食事に同席することを許しているのだった。
「老体に鞭打ってやっているがなぁ。しかし、この前の選挙はひどかった。軍部は、少しでも歯向かいそうな候補者を弾圧しおった。日本の軍隊が立派だったのは満州事変までだ。軍人が政治に関わるようになってから、末端の兵隊までだめになってしまった」
甚八は天ぷらを咀嚼し、蕎麦をすすると、話を続けた。
「だからわしは、東條英機に対抗し得るやつらを断固応援した。カネも配った。やつらは逆境の中でよくやった。しかし、多勢に無勢だ。翼賛議員同盟の連中は、戦争が終わってからも絶対に許してやらん」
言葉に力がこもった。
レイ子から見ても、甚八が怒るのは道理だった。彼が最もかわいがっている三木武吉は何とか当選したものの、選挙の総括責任者が逮捕され、獄中で死んだ。拷問で殺されたとみられていた。
他にも大勢が検挙された。そのような軍からの圧力の中でも、三木、河野一郎、鳩山一郎、大野伴睦ら85人が翼賛政治体制協議会から推薦を受けずに当選した。永田町では、「推薦を受けなかった独立系候補の当選の裏に真木甚八あり」とささやかれていた。
実は、甚八の裏には鬼頭がいた。大陸から鬼頭が流してくるカネは、きれいなものではなさそうだった。彼が海軍からの要請でつくった鬼頭機関は、タングステンなど戦争に欠かせない物資を調達するための組織だった。希少な物資を手に入れるには、よごれ仕事もやらなければいけない。
鬼頭が香港や上海で、人びとに宝石を供出させていると、レイ子は甚八から聞いていた。戦前から鬼頭を知っているレイ子は特に驚かなかった。青年時代から身を捨てて生きてきた彼なら、顔色一つ変えずやってのけるだろうと思った。
「私も、鬼頭みたいに、自分の機関を持ってそれを動かし、おカネや権力を手にしてみたい」。そう思った。何の根拠もないが、自分にもそれができる気がした。幼いころ自分を貶めた友人たちを、芸能活動で見返すことはできなかった。でも、鬼頭や甚八が生きる世界でならやれるかもしれない。それが、レイ子に残された数少ない道のように思えた。
◇
鬼頭が、真木邸にやってきたのは陰鬱な雨が降りしきる6月のことだった。