公開中の映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』では、連邦政府から有力な州が離脱し、内戦状態になった近未来のアメリカが描かれる。“civil war”は「内戦」のことだが、“the Civil War”と大文字にすると、アメリカの歴史のなかで唯一の内戦である南北戦争を指す。このタイトルは、アメリカが南北戦争に匹敵する凄惨(せいさん)な内戦に向かっていることを暗示しているのだろう。
『シビル・ウォー』が、2021年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に想を得て企画されたことは間違いないだろう。首都ワシントンD.C.で武力衝突が起き、反乱軍がホワイトハウスに突入するというストーリーは、たしかに映画的ではある。しかしそうなると、連邦政府に反旗を翻す勢力を決めなくてはならない。
もっともリアルなのは、Qアノンの陰謀論を信じるトランプ支持者のミリシア(武装民兵)の反乱だろう。だが大統領選の年にそんな映画を公開したら、保守派からの反発で収拾のつかない事態になることに気づいた映画会社が、右からも左からも批判されない設定としてひねり出したのが、カリフォルニア州とテキサス州の州兵たちの連合である「西部勢力(WF)」が首都に攻め上るという荒唐無稽な設定なのではないだろうか。――ただし、ドラマとしてはよく出来ていた。
このような映画がつくられるのは、アメリカ社会が深刻な混乱に見舞われているからだ。だとしたら、それが内乱や内戦につながる可能性はどの程度あるのだろうか。そんな興味で読んでみたのが、“歴史動態学(クリオダイナミクス)”を提唱するピーター・ターチンの『エリート過剰生産が国家を滅ぼす』(濱野大道訳/早川書房)だ。原題は“End Times; Elites, Counter-Elites, and the Path of Political Disintegration(終わりのとき エリート、反エリート、そして政治的分裂への道程)”。
アメリカの状況は半世紀前の南北戦争当時と似ており、同じような暴力的混乱が起きる可能性がある
ピーター・ターチンは1957年にソ連で生まれ、モスクワ国立大学の生物学部に入学したが、物理学者だった父親の反政府活動によって家族で亡命を余儀なくされ、20歳のときにアメリカに渡った。ニューヨーク大学で生物学の学士号、デューク大学で動物学の博士号を取得したのち、コネチカット大学で生態学・進化生物学の終身教授となった。
ターチンの専門は個体群動態学で、数学モデルによって動物の群れの大きさの変化・循環の原因を研究した。そんな理論生物学者のターチンが、なぜ門外漢である歴史学に足を踏み入れたかというと、数学的方程式とコンピュータ・モデルによって生物の群れのサイクルを予測したのと同じ手法で、人間集団のサイクルすなわち歴史を予測できると考えたからだ。
歴史を数学モデルで分析する方法については、2003年に原著が刊行された『国家興亡の方程式 歴史に対する数学的アプローチ』(水原文訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン)で論じられている。この本でターチンは、近代以前の農業国家の領土の動態をモデル化し、人口が増えると食料が不足して社会が不安定化し、帝国の周縁のアイデンティティ闘争から新たな勢力が勃興して歴史が循環すると主張した。
ターチンはそこからさらに研究を進め、2010年に「今後10年で政治的不安定性が社会を揺るがす」という論文を国際的な総合学術誌『Nature』に発表、12年には「2020年にアメリカは暴力的な激変を経験するか?」というインタビューで、歴史動態学によれば、アメリカの状況は半世紀前の南北戦争当時と似ており、同じような暴力的混乱が起きる可能性があると述べた。
この不吉な“予言”は当初、まったく相手にされなかったが、2016年にイギリスのEU離脱(Brexit)を決めた国民投票とトランプの大統領選出があり、21年に連邦議会議事堂襲撃事件が起きると、にわかに注目されることになった。
ウォルターの内戦を予測するモデルはターチンと一見似ているが限界があった
ターチンが重視するのは、本書(邦訳)のタイトルにある「エリート過剰生産」だが、それを検討する前に、カリフォルニア大学サンディエゴ校の政治学教授バーバラ・ウォルターによる『アメリカは内戦に向かうのか』(井坂康志訳/東洋経済新報社)へのターチンの評価を見ておこう。『フィナンシャル・タイムズ』などから2022年ベストブックに選ばれたこの本で、ウォルターは過去の内戦のデータを分析したうえで、アメリカ社会は内戦の危険水域に近づいていると警告した。その手法は(そして結論も)、一見、ターチンとよく似ている。
ウォルターの予測は、CIAが資金を提供する「政治的不安定性タスクフォース(PITF :The Political Instability Task Force)」が収集したデータに依拠している。アメリカが影響力を行使している(主に)発展途上国で、内戦や内乱が起こる可能性がどの程度あるのかを予測するためのプロジェクトで、それによれば、アノクラシー、派閥争い、国家による抑圧というわずか三つの要因で、短期的な(2年先の)不安定性が予測できるという。アノクラシーとは、「完全な独裁体制と完全な民主主義体制の中間にある体制」のことだ。
北欧など完全な民主政の国で内戦が起きることが想像できないのと同様に、完全な独裁制の国も政治的には安定している。だが、独裁国家が民主化に向かったり、逆に民主国家が独裁化しはじめたときに、社会は不安定化する。民族問題のような集団間の対立と、敵対する集団への国家による過酷な弾圧がそれに加わると、社会が崩壊して内戦状態になるという主張には説得力がある。
ウォルターは、トランプ時代のアメリカは、まさに「内戦の条件」がそろいつつあると警告した。だがターチンは、このモデルは有益ではあるものの、限界があると指摘する。
PITFは、内戦を予測するもっとも重要な条件が、民主政と独裁政の中間形態であるアノクラシーだとする。だがこのモデルは、「なぜその社会がアノクラシーになったのか?」という問いに答えてくれない。
もうひとつの問題は、PITFが分析したデータが1955年以降であることだ。20世紀後半は人類の歴史のなかでは特異な時期で、内戦が頻発した発展途上国は、西欧列強の植民地主義によって国境を一方的に決められ、国内に複数の民族集団を抱えていた。その結果、民族アイデンティティが対立の原因として過度に重視されることになったのだが、歴史的には、王朝を争う対立や宗教をめぐる戦争、自由主義とマルクス主義というイデオロギー対立など、さまざまな理由で内戦や戦争が起きている。
決定的なのは、2010年にPITFのプロジェクトが、「次の10年で起きる内戦の勃発を80%の確度で予測できる」と発表したことだ。その直後(10年12月)にチュニジアで大規模な反政府暴動が起き、それが「アラブの春」としてエジプトやリビアの政変を引き起こし、シリアでは凄惨な内戦が勃発した。ところがPITFのモデルでは、この歴史的な大事件をまったく予測できなかったのだ。
PITFが予測を外した理由は、アラブの国々がアノクラシーではなく独裁国家だったからだ。そのうえエジプトは国民の大半がスンニ派のアラブ人で、民族的・宗教的な対立もなかった。PITFモデルでは、内乱が起きるはずはなかったのだ。