近代日本最先端の現場だった「花月園」

 旧三笠園から歩いて数分の距離には「花月園」という名の競輪場があった(2010年閉場、現鶴見花月園公園)。

 ここはもともと、大正デモクラシー全盛期に、パリの郊外にあった児童遊園地をモデルに、「1914(大正3)年に開園した、日本で最初の児童遊園地である。大山すべり、大つり橋、豆汽車、観覧車、飛行船塔など、当時の最新式の珍しい遊具やスリル満点の施設を次々に―(さらに動物園も作り)、子どもたちを狂喜させた。園内に特設された野外劇場では、二代目市川猿之助の野外劇や1915(大正4)年にドイツ留学から帰国間もない山田耕筰指揮の演奏会、1917(大正6)年には現代舞踊の創始者石井漠の創作舞踊詩の上演など、革新的な文化創造の一翼を担っていた……(引用抜粋)」と、現在の鶴見花月園公園案内板にも記されている。

【横浜市の意外な顔】近代化の舞台「鶴見区」に存在した、2つの歴史的事実とは《秘蔵写真付き》
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