「一生懸命教えることがマイナスになる可能性を、指導者は常に考えておく必要がある。自分がよかれと思って教えて、そのおかげで成長したように見えても、本当なら200までいけた子が、指導したせいで150で終わってしまったのかもしれない。だから、自分が何か意見を言って影響を与えることへの怖さはすごく感じています」

 森林はなぜ「怖さ」を自覚できたのだろうか。

「基本的に僕は他人のことはわからないと思っているんです。野球部で3年間付き合っても、どんな性格なのかわからないところがいっぱいあるし、わかった気になりたくもない。小学生の担任(編集部注/森林は慶應義塾幼稚舎教諭でもある)をしていると、すごく無力感があるんです。先週はできたのに、なんでまたできなくなるのとか、この前約束したばかりなのに、どうして破るのよ、とか(笑)。担任だからって、コントロールなんて全然できない。1年生から6年生まで担任しても、『え、こういう性格だったの!?』みたいなことが次々と出てくる。だから、自分がいい先生だとか、いい指導者だとかって、全然思えないんです」

 言葉を額面通りに受け取ることはできない。

「恐ろしいことをしてしまった」
森林監督が今も抱える後悔の念

 慶應幼稚舎の関係者や卒業生の間で、森林の人気は高い。子供たちのやる気を引き出す一方、人としての道に反することには厳しく叱ることができる指導者であると、多くの証言を耳にしてきた。

 一方で森林の胸中には、高校野球の指導者としていくつかの後悔が今も残っている。

「例えば、監督1年目の時のエースだった木澤(尚文・現ヤクルト)ですね。春の県大会の準決勝の相手が横浜高校で、試合前に、木澤の肘の具合がちょっと悪かったんです。だけど、本人は『もちろん投げる』と言って、投げさせてみたら、試合の途中で『肘が駄目です』と。それで結局、最後の夏もほとんど投げられなかった。大学で投げられるようになって、プロに行ってくれたから少しホッとしていますけど、あの時、自分は深く悩みもしないで投げさせた、という思いがあるんです。選手生命が絶たれるかもしれない……と、悩んだ結果、投げさせたなら少しは救われるけど、自分は悩みもしないで投げさせたな、恐ろしいことをしてしまったな、と」

 独白は続いた。